うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

河原町のジュリーの世界

こないだMBSラジオ「ありがとう浜村淳です」に、

作家の増山実という人が出演していました。

以前、この日記で著作を紹介した人で、

最新作は「ジュリーの世界」なんだそうです。

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ジュリーの世界|一般書|小説・文芸|本を探す|ポプラ社

 

ジュリーといっても沢田研二じゃなくて、

河原町のジュリー

いや~、懐かしい。

ぼくは学生時代、サラリーマン時代、1970年代ですが、

休みの日はしょっちゅう河原町通の本屋さんを巡回してました。

四条河原町から西側の歩道を北上して、

?→オーム社→京都書院→?→駸々堂→?→駸々堂→?→ふたば書房

御池でUターンして今度は東側を南下して、

丸善→?→河原町書店→

で、四条河原町を左折して東へ、海南堂?

ああ、もうほとんどの本屋さんの名前が出てきません。

こんなサイトが。

1993年秋「河原町三条〜四条の書店地図」: 三月記(仮題)

いつも10軒くらい回って、SF小説を探してました。

 

そうやって歩いてるときに

必ずといっていいくらい出くわしたのが河原町のジュリーでした。

いまでいうホームレスですね。

その頃はルンペンって呼んでたかなあ。

ラジオでは、こんなふうに語られてました。

河原町のジュリー」というニックネームの通り、

河原町とか新京極、四条通りとか三条通りとか繁華街を

毎日毎日同じコースをずっと歩いていた人。

服装はボロボロの背広とか。ズボンも破れてたり。

靴下なしで破れた靴は履いていて、

髪の毛は油で固まってるみたいな。

お風呂に入ってないからアカで黒くなってるけど、

ただ表情がなんとも言えない、優しい、柔和な目で、

ちょっと微笑みながら歩いていました。

歩き方もちょこちょこちょこちょこ歩く感じ。

愛嬌があると言うか。

だから京都の人たちにすごく親しみの目で見られていました。

 

そうそう、まさに記憶にある河原町のジュリーはそんな感じでした。

ここにイラストが。

河原町のジュリー : ゲ ジ デ ジ 通 信

で、出くわすと必ず目が合うので、そんなときぼくは、

ハッとして目をそらしてましたね。

そうやって目撃してるのは自分だけかと思ったら、

みんな知ってたのが不思議で、

さらに目が合ったというのもいっしょで、

おまけに「河原町のジュリー」と命名されてると知って驚いたものです。

あれからどうしてはるのかと思ってたら、

亡くなったのは1984年。

八坂神社の奥の円山公園で亡くなって、凍死でした。

河原町のジュリーは有名な人だったので、

亡くなった時には新聞の記事になりました。

とのことです。

 

そうかあ、ぼくが30歳くらいのときに亡くなってたのかあ。

享年は何歳なんでしょう。

年齢不詳で、40~50代くらいに見えました。

円山公園といういつもの巡回コースじゃない場所で

亡くなっていたのを謎に感じて増山氏は創作されたそうです。

てことはフィクションなので、河原町のジュリーの真実が

わかるわけではないのですが、

1979年当時の京都が――たとえばどこの喫茶店にも

インベーダーゲームがあったとか――よみがえる小説なんだそうです。

読んでみたいですね。

ちなみに前に書いた感想文はこれでした。

umeharanakase.hatenablog.com