うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

花柄家電と日本フォーク

いつ頃だったか忘れましたが、

日本の家電製品のデザインはかなりダサく感じていました。

とくに花柄の入ったやつ。

花柄の魔法瓶、炊飯器、洗濯機、冷蔵庫。

なんで欧米のそれのように、

シンプルにオフホワイトにしないのか、

不思議でしょうがなかったです。

(いまでは昭和レトロとして懐かしむ向きもあるようです)

 

同じようにダサく感じたのが日本のフォークでした。

洋楽の場合、たとえば大好きだったPP&Mのレコードは、

ギター2台+ウッドベースの、

ほぼアコースティック楽器のみで録音されていました。

なにも足さず、それだけで音楽が完成しています。

ところが、日本のフォークはレコード化されると、

なぜか歌謡曲を伴奏するのと同じ楽団が入って、

バンド演奏は消え失せ、

金管楽器リードをとったりするわけです。

 

ミュージシャンの実力がなくて、

バンドだけで音楽が成立しないというわけではありません。

FMなどで生演奏してるのを聴くと、すんごい上手。

それ以上なんにも加える必要を感じません。

赤い鳥も、はしだのりひことクライマックスも、

Kとブルンネン、ビリーバンバンも素晴らしい演奏でした。

なのにレコードになると、なんで歌謡曲化してしまうのか……。

白物家電に花柄をつけてしまうみたいに、やっちゃうんです。

 

自分たちの演奏、音楽に自信がなくて、

レコード会社の大人たちになんにも言えなかったのか、

あるいは、このサウンドで聴かせたい

というほどのこだわりがなかったのか。

彼らだって洋楽を盛んに聴いていたはずで、

それが演奏スタイルに現れているのに。

 

常日頃、そんなことを思っていたら、瑛人の「香水」は、

アコースティックギター一本で(間奏でリードギターあり)、

サウンドになんの不足も感じさせず、しかも大ヒットしています。

これまでに、こういうシンプルな構成でヒットした曲があったかどうか、

すぐには思い出せませんが、

ギター好きのぼくにはいい時代が来たなと思えます。