4月5日(火)のお昼過ぎ、
ちょうど3回目接種の副反応で高熱を出しているとき、
slimさんから訃報が届きました。
音楽仲間の東祐司さんが4日に亡くなったとのことです。
ご病気だったことは聞いていたのですが、
年明け1月9日の小川さん主宰のライブを聴きに行ったおり、
お元気そうなお姿を拝見していたので驚きました。
ぼくは音楽仲間の方の個人情報というものを、
ほとんど知っておりません。
ライブでお会いしても音楽や楽器の話がメインです。
どこにお住まいなのか、どんなお仕事をされているのか、
お年はいくつなのか、
まったくといっていいほど東さんのことを存じ上げておらず、
ただフラットマンドリンの名手とだけ認識していました。
初めてお会いしたのは確かコープイン京都のフォークの定例会だったか、
あるいは伏見のそうぞう館でだったか……。
Greenhill Boysという年季の入ったブルーグラスバンド、
東さんはそのフラマンでした。
東さんのソロになると急にバンド全体の音が
シャキッと締まるような、
目の覚めるようなマンドリンを弾かれました。
ヨッサンというバンジョー弾きの方が、
一瞬乱れそうになると、叱咤激励するような目で、
横をにらんでおられたのが印象的でした。
そのヨッサンが亡くなられたのが先でした。
1月のライブで東さんは、
なかせさんつながりで面識のあったぼくに話しかけてくださいました。
それほど互いを知った関係ではないので、
ご病気のことを訊ねるべきかどうか、
ぼくがもじもじしていたらご自分から話されました。
自分の病気のことより
仲間が先に逝くのがつらい
とおっしゃったのが印象的でした。
もうひとつ、東さんといえば、ぼくに唯一
ギターでアドバイスをくださった方でした。
あんた、もっとギター、
自信もって弾いたらええねん
と。
あのときはうれしかったです。
いまだに自信なげに弾いてるので、
ときどき東さんのこの言葉を思い出します。
冒頭に書いた1月9日のライブで東さんは、
ワイルドラビッツ26
という特別編成のバンドで出演されました。
全員が昭和26年兎年生まれということで、
このバンド名になったというお話を聞いて、
初めてお年を知った次第です。
いま68歳のぼくの2つ上で旅立たれるのは早すぎます。
この年齢になれば、いつだれがどうなってもおかしくない
と覚悟はできているつもりでも、
実際にお名前が伝わってくるとつらいものです。
あの濃い面立ちで、二カッと笑われる、
東さんのお顔がよみがえってきます。
ご冥福をお祈りいたします。