いまさらながら「老人と海」を読みました。
有名な作品なので、たぶん映画を観たか、
前に読んだかで、あらすじは知ってました。
読んだとしても高校生くらいの頃だったかも。
家の本棚にきれいなままあったので、息子の本でしょう。
以下ネタバレ含みます!
冒頭の4分の1ほどは老人と少年の物語です。
10代初めの少年が、かいがいしく老人の世話を焼きます。
老人を、漁師のプロとして、人生の師匠として、
少年はとても尊敬しているのです。
もう何十日も稼ぎがなくて貧乏な老人のプライドを傷つけないように、
言い訳をつけては食事や物品を届け、生活の面倒をみます。
とても忠実な少年なんですけど、
そういうフォロワーが得られたのは、
やはり老人が真のプロであり、人格者だからなんですよね。
そんな老人が漁師人生の集大成ともいえる戦いに挑みます。
獲物となるのは美しく雄々しい大魚――
それは人間が敬服し、畏怖すべき大自然の象徴のような、
海の化身のような、まさに堂々たる存在です。
その大魚と長い格闘のすえ、
老人はからくも勝利するのですが、
帰港する途次、腹を減らしたサメたちに襲われ、
防戦およばず、成果は水泡に帰します。
ようやく家にたどり着いた老人は、
(おそらく死を予感して)眠りにつきます。
結果はともなわなかったけれど、
最後の最後に大きな仕事をやり終えた人間の生きざまは、
いまのぼくのような、老人を生きる身には、
胸に迫るものがあります。
ぼくは仕事にしろプライベートにしろ、
これを成し遂げたのだと誇れるものがありません。
何十年生きてきて、結局ぼくの人生なんだったんだろう、
となるでしょう。
もしかするとぼくの場合、最後の大仕事は「死」かなあ。
ほんと痛いのがいやで、検査も病院も恐いので、
死ぬまでの過程はぼくにとっては最後の挑戦なんだろうと想像します。
だれもほめてくれないだろうけど、
自分では人生最大に頑張った(頑張るしかない)戦いになるんやろなあ。
巻末にある訳者の福田恆存による解説は、
欧米文化論、文学論になっていて興味深いのですが、
半分も理解できませんでした。
自分の頭の悪さ、教養のなさにがっくりです。
訳者は、それまでのヘミングウェイ作品は通俗小説で、
「老人と海」でようやく文学になったと語っています。
なるほど文学だけに、もやもやした、言葉にできない印象が残ります。
若い頃に読んでたとすると、そういう部分や、
老人の主観的な独白の連続で面白くなかったでしょう。
本筋とは関係ないですけど、
生で食べるならトビウオはすごくおいしいって書いてありました。
それからサメの肝油の話。
液体の肝油が浜のドラム缶に入れてあって、
老人は毎日コップ1杯飲んで漁に出ます。
おかげで風邪をひかないし、目にもいいのだと。
肝油といえば、小学校の給食の時間、5年か6年生のときから、
ピンクのゼリー菓子みたいなのが1粒ずつ配られるようになりました。
この甘みが子ども心にうれしかったことを思い出しました。