今年はなぜか女性作家の長編を読んでます。
これ、二段組みで367ページ。
途中で仕事関係の本を読むために中断したので
一気読みはできませんでした。
トラックでアメリカを転々とする父娘の物語です。
こんなふうに絶賛されると読みたくなりますよねえ。
全米の書評を絶賛の声で埋めつくした、
少女と銃と父と、いまは亡き母の物語。
12歳の少女ルーは、父とともに亡き母の故郷に移り住んだ。
それまでは父とふたり、各地を転々としながら暮らしてきたが、
娘に真っ当な暮らしをさせようと、
父サミュエルは漁師として働くことを決めたのだ。
しかし母方の祖母は父娘に会おうとしない。
母はなぜ死んだのか。
自分が生まれる前、両親はどんなふうに生きてきたのか。
父の身体に刻まれた弾傷はどうしてできたのか。
真相は彼女が考える以上に重く、
その因縁が父娘に忍び寄りつつあった……。
ティーンとしていじめや恋愛を経験して
成長してゆくルーの物語と、
サミュエルを撃った弾丸にまつわる
過去の断章を交互に語り、
緊迫のクライム・サスペンスと雄大なロード・ノヴェル、
鮮烈な青春小説と美しい自然の物語を完璧に融合させ、
みずみずしい感動を呼ぶ傑作ミステリー。
父を撃った12の銃弾
父親はなぜ定住できないのか、
母親はなぜ死んだのか。
父親が受けた12発の銃弾にまつわるエピソードを
順々に語りながら、その謎を明かしていきます。
銃で撃たれたらめっちゃくちゃ痛いと思うんですけど、
父親はたいがいの場合、病院にも行かず、
自分で傷口を縫ったり、包帯できつく縛ったりして治します。
信じられない強靭ぶりです。
アメリカ人は銃に対して強力な免疫があるみたい。
普通の骨折と変わらないかのように、
登場人物たちは銃創を受け止めています。
アメリカ文学って読みやすいです。
難しい漢字は少ないし、ややこしい名前も出てこない。
ハリウッド映画やテレビドラマで見知った世界だからか、
いじめられた娘の行動やそれに対する父兄や
校長の反応なんかには既視感があります。
豊かな自然がいっぱい出てくるところは、
ロードムービーを見ているみたい。
プレーリードッグが棲むワイオミングの大平原、
クジラのいる西海岸のホイッドビー島など、
平和な大自然のなかで父親は生きるための闘いを繰り広げます。
そのへんもこの小説の醍醐味です。
日本の25倍の国土を持つアメリカでは、
自然も地域ごとにまったく違った顔を持つということで、
その自然に人間がいかに対峙し、思索を馳せるか
というところから、アメリカのノンフィクション文学
「ネイチャーライティング」が生まれたと、
訳者はあとがきで語っています。
そのアメリカ文学の伝統からはまた、
「エコフィクション」という、
自然環境をテーマにした小説も派生しているんだとか。
スタイン・ベックの「怒りの葡萄」、
メルヴィルの「白鯨」などの古典をはじめ、
こないだ映画で見た「ザリガニの鳴くところ」も、
同じ系譜のようです。
「12銃弾」でもクジラは要所要所で登場し、
重要な役割を果たします。
この小説のなかではいっぱい人が死にます。
殺されるといったほうがいいですね。
その殺された男が持っていたレコードに、
ぼくの知らないふたりの歌手の名前が出てきました。
YouTubeで探してみました。
1950年代のカントリー界は、Hank Williamsと
Lefty Frizzellの2人に代表されている。
と書いているサイトがありました。
キティ・ウェルズはウィキペディアにありました。
『It Wasn't God Who Made Honky Tonk Angels 』
(1952年発売)のヒットにより、
カントリー・チャートの第1位となった
最初の女性カントリー歌手である。
という解説を読んで初めて、
この小説の時代背景に思いが至りました。
アメリカの読者は、車の名前やファッションなどから
時代性の察しがつくのでしょうね。
そういえば携帯電話もネットもゲームも防犯カメラも出てこない。
1960年代ごろから少なくとも1990年代以前でしょう。
(時代背景に言及している書評や解説がないです)
州をまたいで移動していけば追跡が困難だった、
古き良き時代の物語だったわけです。
読んだあとに気づくなんて、
実に間抜けな読者でありました。
間抜けな読者ついでに感想を書くと、
これ、ぼくにはそれほど特別な小説には思えませんでした。
どのエピソードもドラマの世界の出来事のようで……。
前半はとても良かったから中断してても
最後まで読み終えたいと思いました。
登場人物たちがどうしてるか、どうなるか、
ずっと気にかかる、そういう小説ではありました。