新聞の読者欄に、80代の女性の投稿がありました。
60数年連れ添ったご主人が病気で亡くなられたそうです。
コロナ下でしたが、最後に15分だけ面会が許され、
1時間語り合ったそうです。
いっぱい話したなかにご主人の「良い人生だった。ありがとう」
という言葉があったそうです。
貧しい日々もあり、震災で家を失い、晩年はふたりとも病と闘い、
なにより子どもさんに先立たれているご夫婦なんです。
それなのに「良い人生だった」とはなぜなのか。
残された自分を気遣う言葉だったのか、
ずっと考えているというような内容でした。
この投稿で思い出したのが、中国人作家のこの本です。
5月に読みました。
中国SF「三体」があまりに面白かったので、
中国のベストセラーを読んでみたくなったのです。
巻を措く能わずとはこのことで一気に読みました。
小説の主人公、福貴という老人が語る壮絶な人生は、
幸せとはほど遠いものです。
という1940年代から70年代までの激動の時代
を生きるなかで、福貴は財産を失い、
軍隊に徴発され、順繰りに家族をなくしていきます。
それでも福貴は絶望しません。
愛した者すべてを見送り、老いた牛一頭と自分だけになっても、
「生き生きと」生きています。
自ら死を選ぶこともせず、明るく生きているのです。
それはなぜか。
解説の言葉に、冒頭の読者投稿にあった「いい人生だった」の謎が、
隠されていたような気がします。
老牛以外何も持ってない老人を、何がそんなに「生き生きと」させるのか。
それは、福貴の持っている思い出、つまりは、豊かな物語だ。
愛する家族も財産もみんな失ったけど、思い出は山ほどある。
それを日々反芻すること、大切な人がいつも心に生きていることが、
福貴を輝かせているのです。
人間ってこんなに強く(けなげに?)
生きられるものかと感心させられます。
世界中でベストセラーになっているということは、
なにも中国の農民だから特別したたかとかいうことではなく、
本来人間はそういうけなげさと諦念を備えて
人生に対しているというべきなのか。
福貴もまた「良い人生だった」とほっこりした顔で死んでいくに違いありません。