うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

ライ麦畑でつかまえてはこう読む?

ノーベル文学賞、明日発表なんですね。

毎回話題になるあの人、取れるといいけど。

 

さて、20代のころにペーパーバックで読んだ本です。

これも家にあったので手に取りました。

(たぶん息子の本)

 

ライ麦畑でつかまえて

16歳の主人公ホールデンが、学校を退学になり、

恩師や妹に会ったりと、あてどなく街をさまよう二日間の物語。

 

若い頃に読んで感動した記憶があります。

ジョージ・オーウェルの「1984」に続けて、

原書で読んだのは2冊目。

わからない単語は飛ばして、

辞書を使わずに読むという初めての挑戦でした。

いま思うと、小説の中身よりも、

最後まで読めたことに感動したのかもしれません。

 

今回の読後感は、若い頃とまったく違いました。

村上春樹の新訳で、書名も違っています。

キャッチャー・イン・ザ・ライ

主人公の行動、饒舌が目に余り、うっとうしく感じました。

情緒不安定、自意識過剰で、平気で嘘をつく。

金持ちの親のおかげで、寄宿学校にいられて、

小遣いも不自由なく使える身なのに、

(タクシーに乗ったり、ナイトクラブでお酒を飲んだり)
親も含めて周りの人間を小バカにしてせせら笑っているのが、

村上春樹の文体と相まって鼻につくんです。

若い頃と違って主人公に共感できませんでした。

 

鼻持ちならない我がままお坊ちゃまが、

自分のことは棚に上げて手前勝手な世迷言を

垂れ流すのをずっと読んでなくちゃならない。

これは苦行でした。

それくらい、ぼくも年をとって、

分別臭くなってたってことなのでしょう。

 

ここから先はネタバレになるので

これから読むつもりの方はご注意ください!

 

主人公は、卑しい大人を嫌います。

自分には子どもの無垢さが残っていると信じる一方で、
自分はもう大人だから子ども扱いされたくないとも思っています。

ではどうしたいのか、彼は幼い妹に語ります。

 

ライ麦畑に何千人も子供がいて、

ときどき崖から落ちそうになってる。

僕はその子供をキャッチする人になりたいだけだ。

 

わかります? わかりませんよね。

 

それでネットをいろいろと探していたら、

作家の桜庭一樹の評が出てきました。

ぼくはこの人、けっこう買ってるんです。

book.asahi.com


作者のサリンジャーは1942年、第二次世界大戦に従軍して、

ノルマンディー上陸作戦などを経験し、

PTSDにもなっています。

評者はその事実に着目して次のように語ります。

 

主人公ホールデンが、

心ここにあらずの饒舌さで語り続けるのは、

「危険だからここにはいられない」という、

著者が戦場で被ったトラウマと、

「死んでいった人を助けたい」という、

胸が張り裂けるような思いだ。

ライ麦畑とは、戦場、子供とは、兵士のことだったのだ。

わたしはそのことを知ってから、久しぶりに再読した。

すると、最後のセンテンスの意味がまったくちがって感じられ、

膝から崩れ落ちる思いだった。

本書は、本来語り得ぬはずの戦争体験を、

青春小説に擬態して語った、一人の元兵士の渾身の咆哮なのだ。

 

えええええ? 

ぎ、擬態?

そ、そ、そやったん?

この小説って、そういうことやったん?

ぼくはとっても驚いてしまいました。

いやいやいや、ほんとマジか?

最後のセンテンスってこれ?

 

だから君も他人にやたら打ち明け話なんかしない方がいいぜ。

そんなことをしたらたぶん君だって、

誰彼かまわず懐かしく思い出しちゃったりするだろうからさ。

 

当初は村上春樹の訳者解説が載る予定だったのが、

「原著者の要請により、また契約の条項に基づき」、

それができなくなったと最後に断り書きがありました。

ほんと残念です。

村上春樹はどんなことを書くつもりだったのか……

 

この小説、ぼくがほめるとすればひとつあるんです。

それはタイトルの英文字の座りがなんとも美しいこと。

そこだけはうっとりします。

著者名のサリンジャーとキャッチャーも響き合ってるし。

The Catcher in the Rye

J.D.Salinger