うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

我が亡きあとに洪水は来たれ

1973年というと、ぼくは二十歳。

まだなんにも知らない大学生だった頃です。

そんなときに世界が滅亡の瀬戸際にあったなんて、

知る由もありませんでした。

 

見たんですよ、BS1スペシャル、

よみがえる悪夢~1973年 知られざる核戦争危機~

www.nhk.or.jp

これ、驚きました。

発端は第四次中東戦争

もちろん知っていました。

独眼竜のダヤン国防相とか当時のニュースで見てましたもん。

中東戦争イスラエルとアラブの戦いで、

4回ともイスラエルの圧勝だと思っていました。

ところがこの第四次はエジプトとシリアの奇襲攻撃によって、

イスラエルは戦闘機47機、戦車500両を失う大損害を被ります。

エジプトがソ連の最新兵器でイスラエルの不意を突いたせいでした。

人口300万人のイスラエルにとって3000名という人的損害は

耐えがたく、エジプト憎しの声が高まります。

 

このときエジプトのサダト大統領はソ連の和平勧告を受け入れず、

イケイケどんどんとばかり戦域を拡大します。

イスラエルは急きょアメリカから大量の兵器を送ってもらって反撃。

形勢は逆転し、ソ連アメリカの合意のもと国連の停戦決議を受けて、

停戦が成立します。

しかし今度はイスラエルが言うことを聞かず、エジプト領に侵攻。

エジプトの主力部隊の第3軍を包囲し、壊滅寸前まで追い込みます。

ここへきてソ連は停戦決議を無視するイスラエルと、

それをバックアップしているアメリカに憤激し、

直接介入も辞さずと軍を動員します。

これに焦ったアメリカはさらに「デフコン3」という

核攻撃部隊をも総動員する警戒態勢に入り、

米ソ両大国は恐怖のチキンレースを始めます。

 

その当時、デタント(緊張緩和)という言葉が流行語になりそうなくらい、

米ソの雪解けムードは高まっていました。

一方で、アメリカのニクソン大統領はウォーターゲート事件で、

対応の指揮を執るどころか酒に溺れる日々。

かたやソ連のブレジネフは睡眠薬漬けになっていました。

はたしてこのふたりに世界の危機を回避する冷静さがあったかどうか。

そしてイスラエルのメイヤ首相はどこまでも強気でした。

エジプトのサダトはついに折れて和平会談に臨みます。

おかげで危機は回避されますが、

サダトは国内の強硬派に暗殺され、

メイヤも次の総選挙で敗北するという結末でした。

 

いつもわからないのは、なんでアメリカはここまで

イスラエルの肩を持つのかということです。

国内ではずっとユダヤ人差別をしてきたのに。

 

ともあれ、イスラエルの強硬姿勢のせいで

世界は破滅の危機にさらされたわけです。

自国さえ勝利を得られたなら世界が滅んでも知ったこっちゃねえ、

ってつもりなんでしょうか。

我が亡きあとに洪水は来たれ

っていう、あの身勝手なセリフを思い出します。

なんたらファーストっていつの時代にもあるのですねえ。

 

世界のリーダー、もしくは軍人の誤算やミス、しくじりで、

核戦争が起きるリスクはいまも消えていないと番組は結んでいます。

核弾頭の総数は1万4000発。

こうして小さな小さな庶民が呑気に日記を書いているその最中にも

世界の終わりが始まってるのかも……。