クルスクの戦い1943
若い頃は「PANZER」という雑誌を購読していたくらい、
戦車好きなんです。
(こないだ亡くなった松本零士も戦車を描くのが上手でした)
この「クルスクの戦い」(クルスク会戦)も当然興味があって、
たまたま図書館で見つけて借りました。
クルスク会戦は第二次世界大戦中、
ソ連軍にとって最も犠牲が大きかった戦いの一つです。
戦史上屈指の大戦車戦で、
ドイツとソ連という陸の巨人が真っ向から激突した
人類史上有数の血みどろの激戦であった。
ぼくのこれまでの知識では、
強力な戦車を投入したものの、
敗北したという大まかなイメージが頭にありました。
ところが、本書によると、そうでもなかったのです。
ソ連は自軍の損害を過小評価し、ドイツはドイツで
敗北の責任をヒトラーひとりに負わせたということです。
一九四三年七月から八月にかけて、
約九千三百輌であった。
そのうち、七千輌がクルスク会戦において破壊されたものと推定される。
これに対して、ドイツ国防軍は一九四三年七月より八月までに、
東部戦線全体で戦車・自走砲一千五百七十輌の損失を被り、
そのうち一千二百輌がクルスク会戦で撃破されたと考えられる。
ということで、ソ連は戦車も人員も
ドイツの6倍もの損害を出しているわけで、
大勝利と呼べるような戦いではありませんでした。
いま、ロシアのウクライナ侵攻で戦車に注目が集まっています。
そのなかでもドイツの戦車はロシアにとって
因縁の敵といえるのではないでしょうか。
戦場となったロシアのクルスク州は、
ウクライナと接しています。
80年前の地図を見ると、ドンバス、マリウポリといった
ニュースで耳にする地名が含まれていることに気づきます。
つくづく大変な地域なのですね。
ロシアという国は自国民の死に重きを置いていないように思えます。
戦車の数ではなく人命に重きを置く国であるなら、
これほどの損害は耐えられないことでしょう。
以下、印象に残った一文です。
戦車兵になることはほぼ死を意味していました。
一九四三年七月から八月にかけて、
赤軍は東部戦線全体で戦車九千輌 (自走砲を含まず)の全損を被った。
機材の損失は措くとしても、数万のソ連兵が、
これらの戦車のなかで死んでいったのである。
およそ四十万の戦車兵を育成したが、
そのうち三十万以上が戦いに斃れたのだ。