うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

抱きしめたんダワー

敗北を抱きしめて

この書名は実にいい感じです。

「敗北」と「抱きしめて」の組み合わせに意外性があって。

 

内容は副題の通り、

第二次世界大戦後の日本人

についてなんですけれど、

「敗北に打ちのめされて」でもなく、

「敗北を受け容れて」でもなく、

「敗北を抱きしめて」なんですよねえ。

その「抱きしめて」というニュアンスの所以を

書けたらいいんですけど、しんどいからやめときます。

著者のジョン・ダワーは、アメリカの歴史学者です。

 

ぼくはスターリンが死んだ1953年生まれで、

その頃でもまだまだ日本が大変な時期だったんだと

読んでいて感じました。

育ててくれた親に感謝です。

連合軍による占領が続いたのは1952年4月まで。

1949年4月の段階で、殺人、婦女暴行、強盗、恐喝、放火

などの重要犯罪は2分間に1回発生していたそうです。

戦争で家族が引き裂かれた人のために始まった

「尋ね人」というラジオ番組は1962年3月末まで続いたとか。

 

戦後に起こった衝撃的な事件に、

こんなのがあったそうで。

一九四六年三月一六日の朝、六五歳の歌舞伎俳優・片岡仁左衛門と、

その若い妻、幼い息子、二人の女中

(うち一人はまだ一二歳)が斧で惨殺された。

犯人は仁左衛門の敷地内の離れに住む二二歳の物書きで、

餓死寸前であったことが判明した。

調べによると、犯人の一日の食事は平均九二〇キロカロリーにすぎなかった。

(成人1人が軽作業を行うのに必要なカロリーは政府基準で1日2200)

犯人の男が仁左衛門の優雅な生活ぶりをののしって口論となり、

仁左衛門が家を出ていけと言ったために男が逆上して、

凶行に及んだのであった。

 

公園を寝床にしていた身寄りのない女性が、

男からおにぎりをもらって売春婦に転落していった話もありました。

一九四六年九月二九日付『毎日新聞』にのった二一歳の娼婦の投書であった。

一九四七年、この投書に刺激されて『星の流れに』

という感傷的な歌が世に出たのである。

当初はほとんど注目されなかったが、

一年近くたってから大ヒット曲になり、

とくにリフレインの「こんな女に誰がした」という部分は、

世間への深刻な問いかけとなった。

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ウクライナの問題があって、

日本でも侵略されたら戦うか降参するかで議論が起こってます。

そのとき日本人が思い浮かべる「占領」のイメージは、

ほぼ連合軍によるもの、アメリカによる占領でしょう。

ソ連軍よりはマシな占領だったとは思いますが、

アメリカの占領下でも多くの殺人・強姦事件が起きています。

戦うも地獄、敗れるも地獄です。

 

戦後の食糧不足がアメリカによって救われたというのは

事実ではあるものの、それは無償ではなく、

費用は日本政府が返済しているとのことです。

アメリカの日本への援助は、

マーシャル・プランによる対欧州援助に比べれば、

はるかに規模が小さかった。

加えて日本政府は、アメリカの日本占領を支えるために

終戦処理費」と称して約50億ドルを負担したといいます。

 

これだけのことがあったのに変わろうとしない日本人。

その自画像がアメリカの歴史家によって描かれていきます。