うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

懐かしくも怖ろしい場所の話

その場所に近づくだけで、

胸が苦しくなることがあります。

そういう「場所」はいくつかあって、

だけど、そこをあえて傷口に塩をすり込むようにして、

もう一度巡ってみたいとは思いません。

それをやってしまうのが作家の業なのでしょうか。

 

瀬戸内寂聴のこれ、

現在と過去が交錯するエッセイのような、

でも、まぎれもない私小説、読み終えました。

場所

昔関わりのあった場所に行き、

昔と今の状態を自分の目で確かめる時、

その土地が抱きつづけてきた記憶が、

なまなましく顕(た)ち表われて、

不思議な力で自分に迫ってくるという現象を、

信じるようになったのは、いつの頃からだっただろう。

 

男とともに波乱と苦悩の痕跡を残した場所を、

著者は70代も後半になって再訪します。

(ほどよく枯れたりはしない人なんですね)

夫も娘も捨てて愛人のもとに出奔し、

さらに別の愛人もできて、

ついには三人で鍋をつつく

なんてエピソードも出てきます。

苛烈な人生です。

 

感心したのは著者の記憶力のすごさ。

何十年も前に暮らした家の間取りから周囲の風景から、

大家の家族構成から、容貌、年の頃、人間関係から、

よくもこれだけ覚えてられるなというくらい細密に描かれています。

一度見たものは写真みたいに記憶できるんでしょうか。

 

もう一つはいろんな才能を持った人間が、

著者のいる場所に凝集してくることへの驚きです。

著者が初めて会社勤めをした京都の出版社は――

吉田政之輔は、流政之となり、彫刻家として、

イサム・ノグチと並び、世界的名声を得ている。

そして大げさに言えば、私を合せ三人の芸術家が、

この建物の二階に青春の一時期を雌伏していたということになる。

(もう一人は江戸川乱歩賞を受賞した新章文子)

 

流行作家になってから入った東京のマンションは――

文筆家では、誰よりも早くから原卓也さんが仕事場にしていられた。

有馬頼義さんも一頃ここで仕事をされた。

アイ・ジョージと瑳峨三智子の愛の巣が営まれていたのも、

建って間もない頃のこのアパートだった。

田中真紀子さんの新婚時代もここから始まったと聞いている。

北大路欣也さんともエレベーターでよく出会った。

少くとも、こと源氏物語に関しては、それを現代語にした三人、

谷崎潤一郎円地文子瀬戸内寂聴の三人までもが、

そこに居たというのは偶然とはいえ、運命的で面白い。

なんて面白い事実がひょいひょい出てきます。

原卓也ロシア文学者、有馬頼義直木賞作家)

 

情念の嵐が吹きすさぶような、

愛人との狂おしいまでの生活のあり方は、

やはり常人とは一線を画するもので、

著者の自己破壊衝動というものも、

なかなか凡人には理解できません。

 

理解しがたいけれど、

怖いもの見たさでページをくっていくのが

一般人の俗な読み方であり、読書の楽しみであります。

これだけ固有名詞が次々出てくるのに、

この情夫の名が明かされていないのはなぜだろうか

とか疑問が湧いてきます。

(調べたらわかるのでしょう)

 

ただならぬ情の深さからくる執着心と

その反動からくる破壊願望は、

「出家」という強制力によってしか

断ち切れなかったのでしょう。

 

人は誰も過ぎ去り、時は確実に通り過ぎてゆく。

けれども、人の足の立った場所だけは、

土地の記憶をかかえたまま、

いつまでも遣(のこ)りつづけていくようだ。

そうなんです。

ぼくがもう立ち寄らなくなってしまったその場所は、

その時の記憶を抱えたまま、

いまもそこに、あのときの姿で佇んでいるのだろうなあ

と改めて想像し、体がブルっと震えました。