うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

ジュリーのいた河原町

昨年、最後に読み終えた本が、これ。

ジュリーの世界

ジュリーとは「河原町のジュリー」と呼ばれる浮浪者のこと。

本作は河原町のジュリーを題材とする、

虚実ないまぜの小説です。

フィクションとはいえ、

実在する河原町のジュリーについては

相当に取材して書かれたものと推測できます。

 

河原町のジュリーとはこんな人。

もはや何色だか判別できない煮しめたような背広。

ベトベトに汚れた長い髪。

その右半分は複雑にもつれ、

左半分はまるでコールタールのように固まっている。

やや丈の短いズボンの裾からは黒ずんだくるぶしが見え、

素足をボロボロの革靴に突っ込んでいる。

 

そうそう、まさにこの通り。

この描写を読んで、ありありと思い出しました。

ぼくは河原町を歩いていて何度もジュリーと出会っています。

(思いがけなく会ったのだから「遭う」を使うべきか)

そして何度も目が合った気がしました。

その度にドキッとしたものです。

でもジュリーはなににも頓着していません。

ぼくのことなんか舞台のかきわりみたいに見えてたのかも。

 

あとがきで著者はこんなことを書いています。

僕は一九七〇年代後半から八〇年代前半にかけて、

京都で学生時代を過ごした。
その間、河原町のジュリーとは、何度もこの街で遭った。

彼と遭うたび、僕は少し歩調を緩め、

しかし彼は、まったくいつもと同じ足取りで、

瓢然と僕の傍らを通り過ぎていくのだった。

 

ぼくの青春期も著者とほぼ時期が重なります。

著者より5つほど年上だと思うのですが、

中学生の頃から河原町の本屋めぐりをしていたぼくは、

河原町のジュリーとしょっちゅう顔を合わせていました。

あまりによく出会うので、もしかしてこの人と、

なにか縁があるのでは? と勘繰ったほどです。

あとになって同じような感慨を抱いていた人が

いることを知って盛り上がったものです。

ジュリーは河原町通りの一部になっていました。

 

ぼくの本屋巡りコースは、

四条から河原町通りの西側を北へ上がって

三条まで来たら向かいに渡り、

今度は東側を下がるというもの。

オウム社、京都書院、駸々堂と、

出版社が小売部門の書店を出していたんですね。

駸々堂は六角の京都スカラ座の下にもあったし、

蛸薬師の西南角や三条を下がったところに

名前の思い出せない本屋がありました。

東側には河原町書店という小さな本屋、

そして丸善があって、そこの2階、3階を見てから、

家に帰ります。

 

もちろん本が好きだから本屋巡りをしていたのですけれど、

ぼくは自分に欠けているものを感じていました。

心が満たされていませんでした。

どう生きたらいいのか、なにを目指せばいいのか、

ずっと探していました。

友だちを訪ねるでもなく、なにをするでもなく、

ただ歩くというのはそういうことでした。

その順路で必ず出会ったのがジュリーです。

 

彼は、常に人波の途絶えない、夜でも煌々と明かりの灯った、

河原町通り、三条通り、新京極通り、寺町通り、四条通りという、

いわば京都のメインストリー卜しか歩かなかった。

無数の曲がり角には目もくれず、まっすぐ、

大通りしか歩かなかった。

いったいそれは、なぜだろう。

その疑問から著者は出発して、

一つの回答を出しています。

そういうことができるのが小説の醍醐味ですね。

 

ジュリーと度々出会った人ならだれしも疑問に感じます。

彼はどんな人物なんだろう、

なぜいつも同じコースを歩いているのか、

歩きながらなにを考えているのか、

どうしてこんな境遇になったんだろう……。

 

ただ不幸そうには見えないのです。

淡々と日課をこなしている感じ。

そこもまた謎でした。

著者がフィクションとして出した回答は、

ああなるほどといえるものでした。

だけどぼくはジュリーを知っているだけに、

どうしても実在したジュリーの真実が気にかかります。

小説として楽しみにくい事情があったということですね。

 

河原町のジュリーウィキペディアにも載ってました。

そんな浮浪者ってほかにいるでしょうか。

亡くなったのは1984年だそうです。

2月5日の早朝に発見されました。

小説では次のように語られています。

発見したのは警らの巡査です。

発見時間は午前七時で、

河原町のジュリーが死んでいた場所は、

祇園祭で使う山鉾の格納庫の軒下だったということです。

円山公園には全部で十の山鉾の格納庫が並んでいるんですが、

八坂神社の入り口から上がって一番手前の、

『岩戸山』の軒下だったそうです。

発見した際に遺留品は何も携帯していなかったとのことです。

解剖は京都府立医大病院で行われ、死因は、やはり凍死でした。

ずいぶん安らかな死に顔だったそうですよ

亡くなったときの年齢は66歳だったそうです。

 

この作品、四条河原町で20代半ばまで過ごしたぼくには

懐かしい思い出だらけで胸キュンものでした。

知らなかったこと、忘れてしまったことの多さを

改めて気づかせてくれました。

読み終えて、ジュリーと同じ時期に、

ぼんやりとした不安や焦燥感を引き連れて

河原町を歩いていた若い自分を

抱きしめたくなりました。