とうとう祇園祭の中止が決まりましたね。
応仁の乱と太平洋戦争以来のことだと新聞にありました。
疫病退散を祈願するお祭りが、逆に
疫病に退散させられるとはなんとも悔しい話です。
ということで、古い写真を整理していて出てきたなかから、
祇園祭のわからない写真をアップしました。
3枚とも同じ日でしょう。
雨模様が続いたのか鉾にビニールの覆いがされています。
↑これ、昭和30年頃でしょうか。
場所はどのあたりかまったくわかりません。
「昭和36年巡行が初めて河原町通へ」という記事がありました。
1956~1960年は四条寺町を左折(北上)して
三条でまた左折するというルートだったそうです。
また1955年までは四条寺町を右折(南下)して
松原を右折して烏丸に戻るルートだったと書いてあります。
↑こちら、「三菱蛍光灯」の看板が見えます。
市電のための架線が巡行の邪魔にならないよう避けられていますね。
四条通りかなあ。
↑右端は「兵庫相互銀行」の看板でしょうか。
ぼくの記憶では、四条河原町の交差点を下がったところに
兵庫相互銀行はありました(小学校に黄色い帽子を寄付してくれました)。
なんて記録はないので、兵庫相互銀行が別の場所にもあったのか?
よくわかりません。
こうしていろんな催しが中止されていくと、
人間って、集まらないとなんにもできない、
ひとりじゃなんにもできないっていうことを
改めて感じさせられます。
心置きなく外出したいものです。
人混みが懐かしくなるなんて思いもよらないことですね。