うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

脳内でタイムトラベル?

同じ本のことで恐縮ですが、

ついに3回目も書いてしまいます。

いつぺんに書くとめっちゃ長くなりますから小分けして。

 

謎の古代文明

実はこの本で最も興味をひかれたところを、

書いてませんでした。

この本の中には何度も、過去の文明を滅ぼした天変地異の記憶を、

さまざまな民族が伝説として後世に伝えているという話が出てきます。

プラトンアトランティス伝説もそのひとつで、

ノアの箱舟みたいなかたちで大災害を生き延びた人間がいたなら、

その事実はなんらかのかたちで伝わるということです。


ところが、人間じゃなくて動物の場合も、

となると、へーーーって思うわけです。

それが動物のノストフィリア――先祖の地を見捨てない本能です。

顕著な例が南アメリカの太平洋側のアンデス高地に見られるそうです。

(文中のフラミンゴウはフラミンゴのことでしょう)

ここは世界でただ一カ所フラミンゴウが

高い山岳に生息しているところなのであるが、

彼らは餌を求めて太平洋岸の低地へ降下してくる。

おそらくこのフラミンゴウは、

アンデス高地が現在の高さに隆起する以前の記憶を持っていて

今では彼らにとって気候は厳しく食糧も乏しいところに

住み続けているのである。

 

ペルーからチリにかけてアンデス高地の頂上にある塩水湖沼は、

造山作用によって海床が急速に隆起した証拠なんですって。

そんな厳しい環境にフラミンゴがいまも生息しているのは、

過去の記憶があるからだと著者はいいます。

 

動物が太古の記憶を受け継いでいるとしたら、

同じ動物である人間もまた過去の記憶を受け継いでいる

ということになります。

かなり長い引用ですが、ぼくが最もうなったところ。

 

動物が記憶を遺伝的に受け継いでいるとすると、

はるかに進化している人間が、

肉体的・精神的・情緒的特徴とともに、

いくつかの記憶のパターンを継承していることは、

十分予想されるところである。

人間の頭脳の記憶機能、またその限界能力には、

依然として謎の部分が多い

――脳髄には大きな「眠れる」 地帯があり、

そういう開発利用されていない部分は

九〇パーセント以上に及ぶと算定されている。

神経細胞の道が、もっとも高度なコンピューターでも

比較にならないような記憶層(メモリー・パンク)

とも言うべきものに連結しているのかも知れない。

 

個人個人の記憶は、

その人間自身の経験の記憶である個体発生論的なものと、

先祖から伝わっている記憶と関係のある種族発生論的なもの、

すなわち種族の記憶に分類される。

しかし、このような脳の中身や記憶のパターンの研究は、

いまだ初歩的な未開発の段階にある。

もっとも、伝説などに見られるように、初期の文化には、

このような擬似医学的な研究が

現在より進歩していたものと考えられるふしもあるが。


もし、一定の個人から、過去の世代より受け継がれている

この原形質的記憶の流れを、

部分的にでも突きとめることが可能だとすると、

それぞれしかるべき時代の個人的な経験から、

歴史を究明する新しい方法が生れることになるだろう。

そうすれば、子供がおよそ学びもしない言葉をしゃべったり、

ある人が意識のある状態ではまったく感知していない

過去の様相や事件を、夢の中や催眠状態では

詳細かつ完全に思い浮べるといった驚異的な霊魂再生の事例に、

かなり論理的な解釈を加えることができるようになるだろう。

 

人間の脳についてはまだまだ解明されていないことが多く、

もしかして脳の9割にも及ぶ利用されていない部分には

古い時代の記憶が残っているのではないか――

ってことですね。

 

恐山のイタコが霊能力で死者を口寄せするってのは、

人間の原形質的記憶にアクセスできているってことでしょうか。

もしもその仕組みが科学的に解明できれば、

そしてもしも人間が種族としての記憶だけじゃなく、

個人としての経験の記憶も引き継げるとしたら!

たとえば織田信成を被験者にして、

信長の子孫の体験談を聞き出せたりする

なんてことがあったりして!

それはもうタイムマシンと同義じゃないでしょうか。

そんな妄想を抱いて、ちょっとワクワクしたというわけです。

しかるべき時代の個人的な経験から、

歴史を究明する新しい方法

これは人類のロマンですねえ。