うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

わかる気がするアサッテの人

ときどき意味不明なことを口走りたくなる衝動

ってないでしょうか。

その場の空気となんの脈絡もない言葉を。

アバランチ

とか、

文之助茶屋!

とか、

せこりかりこりけ!

とか。

ときどき部屋にひとりでいるときなんか、

大声で意味不明語を叫ぶことがあります。

 

この小説、自分で買った記憶がまったくないんですけど、

本棚にあったんです。

芥川賞受賞作だから手を出したのか。

タイトルに惹かれたのか。

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アサッテって、「アサッテの方角」っていうときの、

あのアサッテです。

算数で習う「ねじれの位置」みたいな、

これまでの経緯や秩序と無関係なポイントを狙うってことかなあ。

いや、狙うというのは作意が入っているので、また違うようです。

本書では、

自分の行動から意味を剥奪すること。

通念から身を翻すこと。

世を統べる法に対して圧倒的に無関係な位置に至ること…。

と表現されています。

哲学的な営為というのか。

そういうアサッテの効用ってなんでしょう。

と効用を言い始めたらアサッテじゃなくなるのか。

 

芥川賞受賞作で、とても実験的な雰囲気の作品なので、

一読してとても理解できたとは言えません。

なんとなくのぼんやりとした読後感があるだけ。

純文学ってそういうもんなんかもしれませんね。

 

ひとつ面白かったのは、主人公(語り手?)の叔父、

――それはこの「アサッテの人」その人なのですが、

その叔父さんの書いたメモが登場します。

えなりるわっほなう、
えなってりえにれっさ、
あぽーまーせーとといーまーせ、
あびーじらにあうばったう、
あくらいぴんとーざた、
いすーませーふお、
いなねほとぅ、
めきくりとふ、
えばわりらいえんよーしゃあーるっ、れっ、
たんでんいんざら、
あーらちゃ、
うえーぴーぽーせーいんまがーざったっしーすとーでな、
のぽーりなっりっめえーいにん、
めーあーぜーごほん、
ああざーでのおーまのん、
あろーなげんーぬ、なっちゅるい

 

これ、意味不明ですよね。

これだけ読んでなんのことかわかったあなたはめっちゃ天才です。

 

語り手は叔父に意味を訊ねます。すると、

「なにつて…、ギルバート・オサリバンの《アローン・アゲイン》。

 知ってるだろ、お前」

と答えます。

歌詞を聴きながらこのメモと照らし合わしてみましたが、

そのように聴こえそうでもあり、そのようでなさそうでもあり。

この微妙なズレ方は、たしかにアサッテかもしれません。

「なんでふつうに歌わないの? レコードみたいにカッコよく」

と語り手が訊き返すと、

「なんでって、これ鼻唄だよ? なのになに、舌巻くの? 

 逆にヘンだろ、それ。気障で」

 

読み終わってみて、

そうそう、人間って必ずしも

他者に全部わかってもらえるように生きる必要はないよな、

すべての接点で世間ってものに寄り添う必要もなくて、

だれかにとってまるで意味をもたない営みもあって当然、

いや、生きてるってことにそもそも意味を求めてなんになるの? 

みたいな自由な感覚に心を洗われるような気がしました。

 

ちなみにこの作品が受賞した第137回芥川賞の選評が面白かったです。

小川洋子川上弘美山田詠美は〇、

石原慎太郎村上龍宮本輝はX、
なんですねえ。

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