うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

記憶にございませんの超絶レトリック

降り続いた雨が上がりました。

表に新聞を取りに行ったら郵便受けが空っぽ。

そや、休刊日やった。

なんの祝日なんでしょ。

 

岸田首相が辻元議員に、

総理は「さまざまな~」が口癖で、

そういう発言をするときは必ずごまかしがある

と指摘されて、答弁になってもつい、

「さまざまな~」を連発していたのがおかしかったですね。

 

ぼくも原稿でよく「さまざまな~」を使います。

「AやBなど」と事例を限定してしまうと、

AやBしかないのか?

Aより先にBといったのは優先順位があるからか?

「など」にはほかになにがあるんだ?

などとツッコまれそうで面倒だからです。

だから岸田首相が「さまざまな~」を使いたい気持ち、

いやというほどよくわかります。

 

「さまざまな~」は一般的な言葉ですけど、

記憶にございません

遺憾である

誤解を招いたとすれば

お詫び申し上げたい

などという国会で連発される「国会話法」があります。

それらを解説したこれ、めっちゃ面白くて、

久しぶりに就寝前に大笑いした本でした。

最初に出てくるのが、

記憶にございません

これ、政治の世界では古くから使われているようですけど、

ぼくらの記憶のなかでは、

ロッキード事件 (1976年)で一躍有名になりました。

多くの日本人はこの時、

「記憶にございません」という答弁にはじめて接し、
「そういう言い逃れ方もアリなんだ!」
と驚き、あきれたのだ(アリではないと思うが)。
以来物笑いのネタにされつつも、

この言葉はキング・オブ・ごまかし答弁として

現在もしぶとく生き残っている。

 

この解説にあたって著者は、

「記憶にございません」を”逃げ道用意型”に分類し、

ここには複数のごまかしテクが、

極めて効果的に用いられていることを分析してくれます。

それが、こんな感じ。

まず「記憶」という言葉にすでに、

①すり替えテク

②漢語テク(勿体づけ効果)

という2つの技法が用いられています。

当初はそういう事実があったかなかったかが論点だったのに、

いつの間にか「記憶がある・ない」の話にすり替わるというのが

すり替えテク

う~ん、おみごと。

そもそもはイエス・ノーでシンプルに答えられる質問なんですけどね。

 

②漢語テク(勿体づけ効果)

同じ内容でも言葉を難しくするほど、

さも何か大切なことを言っているような印象を与える

テクニックなんだそうです。

「記憶」というのはさして難しい漢語ではないが、

「覚えていません」よりは「記憶にない」のほうが重々しい感じがする。

 

③ 丁寧作用(別人格作用)

「記憶にありません」と言うより、

「ございません」と丁寧に言うほうが

より重々しく聞こえるということ。

さらに普段は使わない「ございません」という表現をすることで、

心理的には自分とは別人格が発している言葉のように感じ、

嘘をつくストレスを減じる効果があるということです。

へ~~~!

 

④否定確保

「~ません」という否定表現をすることで、

あたかも疑惑を否定しているかのような雰囲気を醸し出す

という効果を狙っているいうことです。

すごいなあ。

 

⑤短文繰り返しテク

「記憶にございません」は短文だけに、

何度でも繰り返すことができます。

いくら手を変え品を変えて質問されても

この紋切り型をくり返すことで、

相手はうんざりし、やがてあきれ、

質問することに疲れてしまうのです。

答える側としては、そこが狙いなのだ。

だから答弁者は、我慢できず別の表現をしたら、負け。

同じ言葉を繰り返すことにごまかしの真髄がある。

 

とまあ、この短い文章のなかに

5つものごまかしテクがあるということで、

それでぼくらは、うんざりさせられ、

あきらめの境地に至るわけですね。

いや、もう、国会話法、すごっ!

って感心しました。

 

このほかに、

批判はあたらない

仮定の話にはお答えできない

詳細は承知していない

お答えを差し控えさせていただく

丁寧に説明していきたい

など、よく耳にする国会話法が筆者のまな板の上で腑分けされ、

どこがどのようにごまかし効果をあげているのか、

ねんごろに教えてくれます。

すんごく勉強になりました。

日常会話でも国会話法、使ってみたい!