うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

時間は前にだけ進むのか?

人間だれしも後悔はあると思います。

とくにぼくは無神経かつ無造作に生きてますので、

後悔だらけの人生です。

あのときああすればよかった、

なんであんなことを言ってしまったんだろう、

と、しょっちゅう思い返します。

時間が戻せるものなら戻したい!

と切望するもんですから、

こういう本に惹かれたりするんですねえ。

時間を扱う学問というと主には物理学で、

その物理学は数学を道具に使います。

初っ端にそういう話があって、

文系のぼくはくじけてしまいそうになりました。

 

もし「神の世界」を記述するコトバがあるとしたら、

現在、人類が獲得している表現方法のなかで

最もそれに近いのが方程式でしょう。

方程式、ああ、めっちゃ苦手です。

いや、中学までは理解できてたと思うけど、

高校数学からついていけなくなりました。

 

続けて著者は言うんです。

すべての方程式は、時間的に発展することを

暗に前提としている

えええ~~、そうやったんか!

 

要するに、一見、複雑に書かれている方程式も、

単純にいえば「次の時刻ではどのように変化するか」

を示しているにすぎない、ということです。

へ~、そうなんや。

 

方程式の世界では、微分積分が主役なんだそうです。

微分とは「ある量の時間微分」ともいいますが、

それはまさに、その量が、ある時刻ではどのように変化するかを、

現在の時刻から予想したものにほかなりません。

積分とは、時間ごとの変化を表す微分に対し、

一定時間が経過したあと、変化の総量が

どれほどになっているかを表すものです。

 

「時間微分」って言葉は初めて聞きました。

そういえば横軸が時間で縦軸が量で、

みたいなグラフはいっぱいありました。

とりあえず時間は過去から未来へ、

一方向に進むと物理学者も考えていたようです。

 

ところが、学者って面白いですね。

ぼくらの生きてる空間は3次元なのに、

時間が1次元っておかしくない? 

って考えるんです。

いやいや、全然おかしくないと思いますけどね。

 

「時空」っていうように、

時間と空間は一体のものとして考えるので、

だから時間って宇宙物理学の領域なんです。

 

空間も時間も、絶対的なものではなく、

相対的なものである

アインシュタイン相対性理論って、

そういうことなんですね。

それは時間にもサイズ(大きさ)がある

ってことなんですって。

えええ、なにそれ? 

 

相対性理論では空間は物体の運動によって、

伸びたり縮んだりします。

サイズが変わるのです。

だから時間も、サイズが変わります。

進み方が速くなったり、遅くなったりするのです。

だんだん時間ってものがあやふやで、

わからないものになってきました。

 

ここまでがニュートン運動方程式と、

アインシュタイン相対性理論の話で、

方程式に書くことができる世界の話でした。

ある時刻での状態を微分方程式の形に書けば、

未来のある時刻での状態を決定的に予言できる。

つまり現在がわかれば、必ず未来を予測することができる。

これが決定論といわれる考え方です。

 

ここから量子力学というのが登場して、

さらにわからなくなります。

量子力学というのはミクロの素粒子の動きを考える学問です。

量子力学が予言するのは「必ず起こる未来」ではなく、

そのような未来が起こりそうな「確率」なのです。

その未来が起こる確率は100%ではなく、

まるで天気予報の降水確率のように、

50%だったり、30%だったりするのです。

未来は確率でしかない不確定なもの。

ここからさらに時間の観念が揺らいでいきます。

だけど未来が確率というのは一般人の感覚に近いといえますね。

 

量子力学は発展途上なので、いろんな理論があります。

そのひとつ、ループ量子重力理論の考え方では、

10枚の絵を最初から最後まで

一つのストーリーに沿って見せる

紙芝居のような時間は幻想であり、

たとえば2枚目と5枚目などの個々の関係を

示すものにすぎない。

 

この理論を唱えている学者は、

なぜ人間は時間が一方向に流れていると思うかについて、

こんなふうに説明します。

時間とは、事象と事象を脳が勝手に、

一連の連続的な流れで解釈しようとする錯覚から

生まれているのではないか。

 

A=なかせさんが間違うから

B=ぼくの機嫌が悪くなる

と思っていたけど、なかせさんが間違うことと、

ぼくの機嫌が悪くなることは実際は別々に起こっていて、

それをAが起こったからBが起こったと、

ぼくの脳が勝手に解釈している。

それが量子力学の発想なんですねえ。

 

ここではっと思い出しました。

前に読んだ「金閣を焼かねばならぬ」に書いてあったことです。

出来事が起きる。

それに対して、意識はつねに立ち後れる。

まず物事が起こって、 人はあとからそれを認識するのです。

umeharanakase.hatenablog.com

もともと出来事というのはバラバラに起こっていて、

人はそれを自分の解釈した流れに沿って

並べているだけなのか?

となると時間が過去から未来にしか流れないという感覚は、

人間の脳がつくりだした幻想にすぎないということになります。

時間って夢幻(ゆめまぼろし)のごとし、ですね。

 

もうひとつ、面白かったのは「収縮する宇宙」です。

ビッグバンで誕生した宇宙はどんどん膨張していって、

このとき時間は正の方向に流れるんだけど、

今度は反転して宇宙が収縮していくと、

時間は負の方向、つまり逆戻りしていくのです。

そして宇宙はこの膨張と収縮をくり返していると、

考える宇宙物理学者がいるということです。

はたして宇宙は、このような歴史を

何度も繰り返してきたのでしょうか。

このモデルが正しいかどうかはともかく、

再生と消滅の輪廻を繰り返す宇宙とは、

まるで仏教的な世界観です。

生物の恒常性や、時間の正負のバランスという観点からも、

意外にもしっくりくるシナリオのように感じるのは、私だけでしょうか。

 

たしかに直感としては、この世界が何度も

くり返されているという考え方にはなじみがあります。

 

この本を読んで、宇宙って輪廻転生してるのかも、

時間って一方向からだけ見るもんじゃないのかも、

とか、いろいろ考えさせられました。

難しくても最後まで読めたのは、

ぼくがお手本にしたいくらい、

極めて平易な文章で書かれていたおかげです。

なのに理解するのは非常に厳しい。

ここまで噛み砕いて書かれていて

理解できないぼくはアホ? 

となんべんも落ち込みました。

 

そうそう、あとひとつ。

時間は戻るかもしれないけど、

過去のある時点まで戻って、

そこから新しい未来に変えられるかどうか

についてはなにも書かれていませんでした。