うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

ニュートンに消された男

ロバート・フック

ニュートンに消された男

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って本を読み終えました。

これ、タイトルがすごく興味をそそるじゃないですか。

ニュートンってほんとは悪いやつ?

とかって思って買ったはずです20年以上前に)

大佛次郎賞受賞

って帯の一言にも惹かれたんでしょう。

ぼくって受賞作が大好きだし(権威に弱い)

 

しかし、これ、文系人間にはしんどかったです。

数式こそほとんど出てきませんが、

科学的な発見や定理の解説が多く、

ある程度は物理や数学の素養を必要とするので、

読んでいてもチンプンカンプンなところが多々ありました。

 

それでももちろんニュートンの名前くらいは知っています。

アイザック・ニュートンですね。

ロバート・フックも、フルネームで知ってなくても、

「フックの法則」とかって聞いたような気がします。

彼の名前は、「フックの法則」や細胞の「発見」で

現在に伝わっているにすぎない。

あるいはまた、彼はニュートンの論敵としてだけ知られている。

フックは、顕微鏡観察で当時の人々を驚かせ、

高水準の天文研究を展開し、真空ポンプや気圧計、

温度計などの改良をするなど、

幅広い分野で科学の発展に奉仕したのだ。
とのことです。

 

「当時」とは17世紀です。

日本でいえば江戸時代。

驚いたのはこの時期、すでにイギリスでは、

科学技術の振興を目的とした組織――

ロンドン王立協会が設立されていたということです。

フックは協会の実験主任として数々の実験装置を作製しました。

フックに特徴的なのは、科学研究を、

常に実験観測装置を軸にして展開したことです。 

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これがフックの描いたノミの観察図。

フックは実験や観測でデータを集めて、

そこから現象を理解しようとしました。 

フックにとって、実験観測とは、

それまでに知られていない現象を器機を使って見いだすことにあった。

一七世紀前後に人類は、真空ポンプ、顕微鋭、望遠鏡という

そのための三つの重要な実験装置を手にした。

真空ポンプは、普通には生じ得ない

真空という特殊な空間を作り出すものであり、

顕微鏡と望遠鏡は、人間の通常の能力では

感知することのできない世界を見えるようにするための装置である。

フックは、未知の世界を切り開くこのような三つの装置すべてに関与した。

そのことは、実験科学者としてのフックの姿を浮き彫りにするものだ。

 

一方、フックより7歳下のニュートン抜群の数学の能力を武器に

理論を詳細に練り上げていくスタイルで研究を進めました。

ニュートンは、重力の大きさや天体の軌道に関する観測データを

活用して研究しましたが、そのデータは、ニュートン自身が

実験や観測によって見つけ出したものではありませんでした。

ニュートンよりも年長で早くから学会で認められていたフックは、

新鋭のニュートンの理論を批判することが何度かありました。

そのために一時は研究の一線からニュートンは遠ざかります。

ニュートンは社交性が乏しく、コミュニケーション能力が低くて、

批判されると反論するより逃げ出したくなる人だったようです。

 

ニュートンは40代で研究の集大成「プリンピキア」を著します。

これは力学の基本法則を定式化したもので、

ニュートン力学の体系を確立し、近代科学の基礎となった

画期的な書物とのことです。

 

ニュートンが得意だったのは、

先人によって蓄積された理論を再構成すること、

たとえばコペルニクス以来の天文理論の延長上に理論を構築しました。

この「プリンピキア」は学界から高い評価を受け、

それにともなって世俗的な地位と名誉を次々と手に入れていきます。

もともとフックは王立協会の中心的人物でしたが、彼の死後、

ニュートンは協会の会長となり、フックにまつわるものすべてを、

肖像画すらも、王立協会から排除していったと考えられています。

ニュートンに消された」とはそういう意味です。 

 

なぜ私たちは、ニュートンが絶頂にいたる少し前の時代に、

フックという優れた科学者が活躍していました」

という記述を目にすることがないのだろうか。

という著者の問いは単に、

ニュートンが過去の恨みを根に持つ執念深い人間だったから」

という結論では終わりません。

(当たり前か)

フックの所属した研究伝統は、実験科学者の伝統であり、

ニュートンの所属した研究伝統は、理論科学者の伝統だった。

そこにフックの業績が軽視されてきた大きな理由があると筆者は感じる。

つまり、ニュートン以降ずっと実験科学者よりも理論科学者、

工学よりも理学を重んずる科学界(社会)の風潮が

いまに至るも続いているところに問題があると著者は指摘します。

産業の基礎を額に汗して築いている工学部の人々の社会的な地位が、

理学部の研究者に比べて低いのはなぜかということである。

工学部の人がよく口にすることだが、

「ノーベル工学賞」というのは存在しない。

権威は、理学にのみ与えられるべきものとされているのだ。

 

なるほどなあ。

そういえば日本人がノーベル賞を受賞するたびに、

基礎科学が大事っていうけど、

あれも理論重視ってことなのでしょうか。

日本人は小手先の応用技術ばっかり得意とかいわれるけど、

ねばり強い小さな工夫の積み重ねだって大事なことなんだと思います。

なので、理論も応用も大事、どちらもバランスよくってことですかね。

 

ニュートンに象徴される理論科学を高く評価しがちな私たちの性癖が、

フックを殺しているのだ。

はい、この推理、文系のぼくにも納得いきました。