うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

時代背景と作品価値とに鑑みて

岩城宏之の「森のうた」っていう

文庫をいま読んでるんです。

と前に書いてましたけど、とっくに読み終えました。



岩城宏之山本直純という偉大な指揮者たちの、

痛快青春グラフィティ。

とくに山本直純の天才ぶりは驚かされます。

こんなエピソードがありました。

先生はピアノの前に座り、威勢よくいちばん先にのりこんで、

右端のいすに座ったナオズミに声をかけた。

聞き取れないほどの静かな声である。
「きみ、いまたたく和音の中の、上から三番目の音の、

 五度下の音を声に出してごらん」
和音なんていうものではない。

指十本の全部を使った目茶苦茶な不協和音だ。
ナオズミは即座に、「アーツ」とダミ声をあげた。
聞いているぼくにはまったくわからない。

どうせ思った音程を声には出せないやつなのだ。

デタラメに怒鳴っているのだろう。
先生は指定した音、つまり上から三番目の音の五度下のキーを、

ポーンと叩いた。
ダミ声と同じ音だった。
ゆっくりうなづいた先生は、
「もう一度やってみようね」
 とつぶやいた。

多分、マグレと思ったのだろう。

違う不協和音をたたいた。
「今度は、下から二番目の音の六度上をうたってごらん」

ほくは自分がカタカタ震えているのも忘れて呆れかえった。

こんなことをできるやつは、日本に何人といないだろう。

完全無欠な絶対音感教育の、しかももともと

天才的な感覚を持っている人間でなければありえない。

 

山本直純はこれほどすごい耳を持っていながら、

彼には実は、重大な欠陥があった。
どのような音も聞きわける耳を持っていながら、

自分が思った音を、正しい音程で声に出せないのだ。

つまり、知らない人から見れば、オンチなのである。

 

こういう音楽エピソードは楽しいのですけれど、

若気の至り的な「冒険談」は読んでてイタイです。

バンカラ好みというんでしょうか。

時代が時代だから、年代が年代だから、

はっちゃけてるのもわかるけど、

ちゃんと切符を買って鉄道に乗ったことがないとか、

鉄道マニアの教授が汽車のプレートを盗んで収集しているとか、

コンサートは必ずチケットを買わずに忍び込むとか、

良識のある人たちが、

なんでそこまで無法を貫きたいの? 

と思ってしまいます。

お金がないわけじゃないし、

常識も教養も備えた人たちです。

いまはもちろん当時もすべて犯罪行為です。

それをあっけらかんと武勇伝のように書いてしまう

筆者の神経についていけません。

ピアノは上手だけれどブスだから無視した、

みたいな書きぶりには、ぼくですらゾッとします。

 

そしたら、最後に編集部注がありました。

本書は一九八七年朝日新聞社から刊行され、

一九九〇年朝日文庫、二〇〇三年講談社文庫に収められました。

本文中、今日からみれば不適切と思われる表現がありますが、

書かれた時代背景と作品価値とに鑑み、そのままとしました。

 

20年前でも問題ありという意識はあったようですね。

それでも出版する価値が認められたというのは、

20年前もまた昔なのだなと考えさせられます。

筆者たちがもしいまの時代に生きていたら、

ジャニーズ事務所の問題にどんな感想を抱くのか、

聞いてみたくなります。