うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

うーえを向いて歩こう

NHKの「アナザーストーリー運命の分岐点」

上を向いて歩こう”全米NO1の衝撃

www.nhk.jp

面白かったです。

中村八大・永六輔の名コンビの手になるこの名曲は、

坂本九ありきで作詞作曲されたのですね。

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敏腕マネジャーの曲直瀬(まなせ)信子という人が語っていました。

坂本九は音が取れない音痴だったので、

憎めないキャラクターを前面に打ち出して、

テレビタレントとして売り出すしかないと考えたとのことでした。

狙いは当たり、九ちゃんはお茶の間で人気を獲得していきます。

 

そんなとき、アメリカで流行っていたポップスを

日本でもつくりたいと考えていた中村八大が、

テレビの九ちゃんに歌手として注目。

相談された曲直瀬は、一つだけ条件をつけました。

坂本九の親しみやすいキャラクターとセンチメンタルな魅力を

活かせる、堅苦しくならない歌詞の書ける人に依頼してほしいと。

それがCM・放送作家として大活躍していた永六輔でした。

彼は60年安保闘争での挫折感をモチーフに、あえて主語を使わず、

だれもが自分自身を投影できる詞を書き上げます。

 

1961年の第3回中村八大リサイタルが披露の場となりました。

江利チエミザ・ピーナッツなど人気・実力を兼ね備えた

超売れっ子歌手が華やかにステージを飾るなか、

坂本九は弱冠19歳、初の大舞台で、初のソロ、しかも、

上を向いて歩こう」ができあがったのは当日の朝でした。

それは緊張したでしょうね。

それでも当日演奏された12曲のなかでは

抜きんでて評価されたといいます。

 

興味深いのが、坂本九が渡された譜面です。

最初の音符が二分音符で、1拍目から歌が始まっていました。

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すなわち、いまうたってるような、1拍目に休符がある、

vうえをむ~いて

じゃなく

う~えをむ~いて

と1拍目からうたいだす譜面だったのです。

これを当日の練習で、いまのうたい方に変えていったのだろう

と作曲家の大友良英は推理します。

プレスリーやロカビリーの影響を受けて、

ウォウ・ウォウ・ウォウと、

裏にもアクセントが入るように裏声を使う坂本九を見て、

バックビートでポップスがつくれる

と、中村八大は考えたはずと。

 

坂本九ならではの魅力を最大限に引き出すことで、

上を向いて歩こう」は完成したのですね。

番組冒頭の街頭インタビューで、

40歳前後のアメリカ人男性は、

大好きな歌だよ、聴いていて泣きそうになるんだ

と答えていたのが印象的でした。

明るいポップスでありながら、

そこには哀しみの成分が含まれているのですね。

それは人懐っこくて、だれの心にもすっと入っていける、

九ちゃんの底なしの明るさの陰にある、

センチメンタルな部分、

コンプレックスや挫折感などの反映なのかもしれません。

わたし、この歌は好きちゃうし

となかせさんが言った理由が初めてわかった気がしました。