うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

いま渦中にいる子どもたち

ただちに命を守る行動をとってください

とアナウンサーが言うようになりました。

地震津波などの発生直後ですけれど、

同じ言葉を、学校のいじめ問題でも発したほうがいいと思います。

本来安全な場所であるべき学校が、

いじめ被害を受ける子どもにとっては、

災厄の現場になっているからです。

これほど執拗ないじめがあったときは、

ただちに命を守る行動をとらなくてはなりません。

具体的にはまずその場を離れるということです。

 

先週、録画して見た「かがみの狐城」。

 予備知識なく見始めて最後まで一気に。

目が離せない映画でした。

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中学のいじめ、不登校という

シリアスな問題を中心に据えつつ、

アニメらしいファンタジックなミステリー仕立てで、

最後に伏線が回収されていく面白さも味わえます。

 

直木賞作家、辻村深月の同名小説のアニメ化です。

原作は 2018年に本屋大賞を史上最多得票数で受賞、

ダ・ヴィンチBOOK OF THE YEAR2021」(文庫部門)など

9冠に輝くベストセラーなんですって。

 

見ていて感じたのは不登校やいじめで苦しむ生徒を

いますぐにでも救いたいという作り手の意志です。

死にたくなるほどつらい学校なんて行かなくていい、

いじめの加害者はバカ、そんなのは無視していい、

というふうに全面的に被害者側に立って、

学校とも加害者とも闘う姿勢を示し、

彼らと距離を置くこと、

そこから遠ざかることを推奨します。

いじめる側の生徒らを、
「恋愛とか、目の前のことしか考えずに生きているバカ」
 学校を、 
「たかが学校のことなのにね」
 といい、被害者には、
「負けないでね」 
とエールを送り、主人公は、

「わたし今度こそ、嫌なものは嫌って言う」

と決意します。

 

映画を見ていて、ぼくも中学時代を思い出しました。

あの頃のぼくは、いじめる側でもあり、

いじめられる側でもあったと思います。

ぼくはおちょくり、おちょくられることが大好きでした。

ひとをおちょくって笑いが生まれることを

良いことだと思っていました。

おちょくられる人は笑いの中心にいられて

いいなあと思う人間ですから、

おちょくられる人が本当は傷ついていることに無自覚でした。

ぼく自身がおちょくられるとうれしかったからです。

 

おちょくられて傷つくか「おいしい」と感じるかは、

当人の自己肯定感に関係していると思います。

ぼくは生まれてからずっと強い自己肯定感に守られていて、

コンプレックスはあったものの、

総体として自分のことが大好きでした。

なので自分のことを悪く言われても、

それは愛し親しまれているせいだと、

おめでたい誤解ができたのです。

たいがいの人がそうではないということは、

かなり後になってから知ることになります。

 

自分で自分が大好きという心持ちは、

本人が生きていくうえではプラスになるけれど、

ときに他者を不快にさせる源にもなりうることを、

自戒していかねばと、いまは思っています。

 

映画のなかで、いじめた側の生徒たちの将来を、

主人公の唯一の友だちが断言します。

「きっとろくな人生送らないよ!」

映画を見ていると、そうであってほしいと思います。

だけど実際のところ、

いじめる側にいた生徒が中学に出てから、

どんな人生を送るかは人それぞれです。

やがてだれかを愛し、自身も愛される経験をして、

あるいはひどく傷つく経験をして、

変わっていくかもしれません。

願わくば彼らがかつての罪を自覚し、

それを死ぬまで忘れず、被害者に赦しを乞いつつ、

その後の人生を歩んでくれますように。