うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

直木賞受賞の理由

宮部みゆき直木賞受賞作

理由

読みました。

非常に評価の高いこの作品なら、

ぼくでも面白さが理解できるかと思いました。

だけど脳みそ弱者には難しかったです。

宮部みゆき作品らしくリーダビリティの高い、

文句なしに読みやすい小説です。

文庫本で777ページもあるのに、

読むのがつらくはないです。

ただ長いとは感じました。

 

事件は超高層マンションの一室(住戸)で起こります。

室内には中年男女と老女の惨殺体があって、

部屋の下にはベランダから転落したらしい若い男の死体。

そして当初住人だと思われた4人の死者は、

そこに住んでいるはずの家族ではありませんでした。

 

現場の対処に翻弄される管理人への聞き取りから、

少しずつ事件の輪郭が見えてきます。

そうなんです。

実は叙述スタイルがドキュメンタリー的というか、

死者に関わりのあった周囲の人たちへの取材(インタビュー)で、

ほぼ物語が構成されています。

この手法はスティーブン・キングの「キャリー」でも

使われていて、とくに珍しくはありません。

ただこの手法だと、事件の核心にいる当事者の心理はわからず、

まわりの人たちの証言から推察するほかありません。

作者が神の目になって地の文を書くのではなく、

証言者からの伝聞だけでほぼできているのですね。

だから死人に口なしで、4つの死体

=当事者の心の真実はわかりようがないという、

そういう叙述スタイルを、

作者はあえて選んでいるのです。

 

現実がそうであるからででしょうか。

小説というつくりものの中で、

この複雑な現実世界がきれいに割り切れる、

腑に落ちるなんてことがいやだったのか。

 

この小説を読んで経験することは、

ぼくらが、現実に起こった事件を、

報道番組や週刊誌記事によって

知っていく過程と同じです。

読者は事件の周辺にいた人々の断片的な証言から

真実がどうであったのか、

想像をめぐらせていかねばなければなりません。

そういうもどかしさのなかで、

いったい事件の現場でなにがあったのか、

だれがだれを殺したのか、

それはなぜ起こったのか、

という謎に引き寄せられていきます。

 

ここまで読んで面白そう!

と思ったなかせさん、ぜひ読んでみてください。

ただ、謎は解明されてもスッキリとはしません。

そこが普通のミステリとは違う点で、

この作品に限って本当の解決とかカタルシスはないんです。

 

犯人がかりそめの家族を殺した理由は

最後まではっきりとはわかりません。

物語の根底には、家族とはなにか、

血縁かどうかでなにか変わるのか、

生まれ育った環境は人の精神にどう影響するのか、

といった問題意識があって、それらは重すぎるし、

深すぎて、だれにも答えは出せません。

 

ここで思い出したのが、

ボブ・ディランの「風に吹かれて」です。

どれだけ道を歩めば
一人前だと認められるのか?

どれだけ海を越えれば
白鳩は砂浜で休むことができるのか?

どれだけの砲弾が飛び交ったなら
武器は永遠に禁止されるのか?

答えは、友よ、風の中だ
答えは風の中を舞っている

lyriclist.mrshll129.com

うたい手は次々と問いを投げかけるんだけど、

答えは「風に吹かれて」で、おしまい。

はぐらかされたような気持ちになります。

問いを発して受け手に考えさせるという点は、

「理由」と同じですが、

歌は小説と違って身体性があるというか、

耳に響いて体で腑に落ちるところがあります。

だけど小説だと言葉で作者に答えを求めたくなるんです。

脳が未熟な読者はよけいに。

 

ここからはネタバレになりますが、

(これから読みたい人はスルーしてください)

犯人がなぜ疑似家族(同居人)を殺したのか、

その動機がよくわかりません。

ただし、すべての登場人物について、

主要人物について語る証言者の周辺(家族関係)までもが

丹念に描かれています。

それがこの小説の分厚さの理由です。

 

いろんな人物のいろんな人生が語られるなかで、

最も悲惨だと感じたのは被害者の母親トメです。

日中戦争の頃、将来は次男の嫁にするということで

トメは13歳で裕福な家に女中奉公に入ります。

しかし、結婚相手だった次男は応召され、

さらに姑が病気で亡くなると、

あろうことか舅がトメの部屋に忍んできて無理やりに。

やがて次男が戦死するとようやく長男の嫁になりますが、

そうなったあとも関係を強いられます。

ひどい話です。

昔はそんなことが山ほどあったように思います。

おそらく実話をもとにしているんじゃないでしょうか。

 

というような濃密な人間関係を丹念に描きながら、

これだけ枚数を尽くしても真実はわかりません。

この小説が「理由」と題された理由もわかりません。

その答えは風に吹かれているのです

 

実は納得いかないことが二つばかりあります。

ひとつはベランダから転落した若い男は、

恋人の女性ともみ合いになって偶発的に落ちたことになっています。

ドラマなんかでよくあるシーンですけど、

そんなことって実際ありえるでしょうか。

ベランダの柵は人間の重心より高い位置にあるし、

もみ合った相手は非力な女性です。

現実に、二人がもみ合って一人が転落しました

なんて報道は見たことがありません。

 

もう一つ、宮部みゆき作品はリーダビリティが

高いと書きましたが、読んでて理解できないところがありました。

 

p664

こういうことが、ときどきある。

誰にも聞こえない祐介のグズる声を、

綾子の耳がキャッチするのだ。

その敏感さ、その指向性の鋭さには、

コブラ・ディーンみたいなレーダーだって太刀打ちできない。

 

コブラ・ディーンって、だれもが知ってるものだったんでしょうか。

少なくともこの作品の発表当時1990年代末のことですけど。

ぼくは知らなくて、それなあに? って思いました。