「ハーメルンの笛吹き男」って話、
知ってる人も多いかと思います。
ぼくも童話か伝説として読んだ気がします。
だから史実とは思ってなかったんですけど、
これ、実際に起こった年月日までわかってる事件なんですって。
ドイツのハーメルンという町から、
約130人の子どもたちが突如消えた事件として、
これまで何度も真相が追及されてきたそうです。
「笛吹き男」の正体
「笛吹き男」伝説の真相は、長らく歴史の闇に隠れ、
解明は困難であるとされてきたのですが、
著者は数々の文献をあたり、謎に迫ります。
事件の発生は6月26日か?(この日が重要)
笛吹き男の正体は何者か?
子どもたちをさらった笛吹き男はネズミ捕りなのか?
子どもたちをどこに連れ去ったのか?
たとえば「舞踏病説」というのがあって、
実際に舞踏病というのが流行したそうです。
聖ヨハネの日(六月二十四日)あるいは
聖ファイトの日(六月十五日)には、
各地で舞踏病が発生している。
これらの日に、子供たちも集団でトランス状態になって
踊りながら川で溺れたり、行き倒れになったりした。
なんでそんなことになるのか、
現在の常識からは考えられませんけど、
音楽のリズムと踊りが合わさると、
そういうことが起こるようです。
その発端はプロセッショッン(練り歩き)であって、
これは子供たちもよく参加したなじみのある、
宗教行事に組み込まれたものである。
かれらが行進中に、群衆心理が作用し、
一隊が憑依現象に襲われることがあった。
陶酔状態は祭りの音やリズムによって助長される傾向が強く、
とくにこの現象は、北部・中部ドイツ、ベルギー、オランダ
(かつて神聖ローマ帝国)などで多く発生している。
それは北欧の人びとの精神的風土によるものか、
あるいは音楽に対する人びとの感受性と関係しているからであろうか。
いずれにせよヨーロッパでは舞踏病は、
十七世紀ごろまで間欠的に出現した現象であった。
ということで舞踏病の実例はいっぱいあるのですが、
ハーメルンで舞踏病が発生した記録がないこと、
舞踏病で倒れた人びとの多くは見つけられているので、
この説はあたらないと著者は結論づけています。
では、真相はなんだったのか。
著者の説はこうです。
当時のヨーロッパ(キリスト教世界)には
東方植民という活動があって、ドイツはその最前線でした。
「北の十字軍」と呼ばれたドイツ騎士修道会が、
北方の異教徒をキリスト教化させるために派遣されていて、
彼らは領地の開拓のため、植民を必要としていました。
そこで「ロカトール」と呼ばれるリクルーターが、
植民を募集するためドイツ各地で活動したそうです。
ロカトールは笛を吹いたり、派手な服を着て人目を引き、
集まった人々に、開拓地に行けば自分の土地がもらえる
と約束して植民希望者を募りました。
それて待ち合わせ場所と日時を指定して、
集合したら集団で目的地まで移動する(旅をする)というわけです。
このロカトール=「笛吹き男」の笛の音に導かれ、
子どもたちも大人の植民団に合流したというのが著者の推理です。
当時の子供たちは集団妄想にかかりやすく、
とくに夏祭りの際にプロセッション(練り歩き)に夢中になったので、
この植民団の列に加わったのだと。
祭りの日に夜通し酒を飲んだ町民は、翌朝には眠りこけていました。
子どもたちの失踪に気づく大人はいなかったのです。
ロカトールは子どもたちの「参加」に気づいたけれど、
植民が増えれば自分の成果になるので、
いっしょに連れて行ったということです。
面白いのは、この東方植民、つまりは領土拡張の「衝動」が
後世にも引き継がれ、ヒトラーの東方侵略となってよみがえってきた
と著者が指摘している点です。
ヒトラーは自著「わが闘争」の中で、
自分を「笛吹き男」になぞらえているそうです。
優れたアーリア人(科学的にはなんの根拠もない)を
東方の侵略地に増やすために、どんどん若い男性を送り込んでいきました。
(そこで多くの悲劇が起こったわけですが)
ヒトラーこそは「20世紀の笛吹き男」ということです。
それにしても最近「〇〇の正体」って
タイトルの本、多すぎないですか?