うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

なるほど嘘と正典

子どもの頃からSFが好きなんです。

学生時代に読んだ「究極の音楽」っていう小説が

けっこう印象に残ってます。

この世には究極の音楽があって、

バッハもモーツァルトもベートーベンも、

みんな究極の音楽を探すために作曲していた。

そう考える主人公が最後に究極の音楽を見出して……

という話でした。

 

あれから何十年。

ぼくは毎日トイレで3か月くらい前の古新聞を読んでまして、

書評に取り上げられた面白そうな本を図書館で借りてます。

その1冊がこれ。

 

小川哲ってだれ?

全然知らなかった小川哲(さとし)という作家。

ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞した

というので興味がわいたんです。

中短編集でした。

著者はめっちゃ頭のええ人なんですね。

それも理系頭。

文系頭のぼくは、精緻にめぐらされた論理の筋道を、

追ってくことが厳しいと感じる短編もありました。

ただし、文章はすごく読みやすい。

難解な構造をした物語もグイグイ読ませる力があります。

 

そして、究極の音楽が登場したんです。

ムジカ・ムンダーナ

という短編(中編?)がとっても面白かったです。

 

ケプラーは言う。

幾何学図形の法則性が美と調和していること。

西洋音楽は数学的であり、 惑星とは一種の音楽であるということ。

ケプラーによれば、惑星たちはポリフォニーを歌っていて、

それぞれの惑星の声域は太陽からの距離によって決まっているらしい。

たとえば地球は アルトで、火星はテノールだ。

このへんの文章、理系的ですよねえ。

やっぱり理系っぽい中国SF「三体」を前に絶賛しましたが、

日本の理系SFもすばらしい。

 

そもそも、「ハーモニー」という言葉は、

「組み合わせる」という数学の言葉だった。

「リ ズム」という言葉が数学の言葉として

使われていたという経緯も合わせて考えれば、

ケプラーが惑星をポリフォニーだと考えていたこともよくわかる。

ピタゴラスが音階を発見して以来、

音楽とは世界の真理と直接的に接続したものだったのだ。

音楽とは数学であり、数学とは真理だった。

 

ケプラーが惑星をポリフォニーだと考えていたこと

がよくわかるかといえば、まったくわかりませんねえ。

ここらが難解です。

ポリフォニー(多声音楽)、調べました。

 複数の異なる声部が、

それぞれ異なるピッチとリズムを持つ旋律を奏でる音楽。

www.youtube.com

なんとなくわかったような……。

 

で、小説に登場するのがフィリピンのデルカバオ島という、

架空の島に住んでいるルテア族というこれまた架空の民族です。

彼らは音楽を「貨幣」として「財産」として所有しています。

(この著者は現実と空想を融合させるのがほんとに上手)

「財産」としての音楽は、

それを所有する人間のステータスにもなるし、

「貨幣」の価値にも 関わる。

優れた音楽を所有している者は、その曲を演奏することにより、

「貨幣」として有利 に取引をすることができるからだ。

その一方で、あまりにも頻繁に演奏しすぎると

「財産」としての価値が下がってしまう。

それゆえ、ルテア族の間では、

価値の高い音楽ほど滅多に演奏されない、という事態が起こってしまう。

 

ということで、このめったに演奏されない「究極の音楽」を

主人公たちが求めるという話なんですね。

面白かったです。

 

そして表題作、

嘘と正典

これがまたまた、めっぽう面白いんです。

SFでは王道の時間もの(タイムマシンもの)で、

もうさんざん堀り尽くされたかと思えるこのジャンルに、

おおおお、そういう発想があったのか!

と驚かされる話の展開でした。

このタイトルにもなるほどと膝を打ちます。

SF好きの方はぜひご一読を。

 

と思ってもこの著者の作品は図書館に予約殺到で、

すぐには借りられないんです。

直木賞を受賞したばかりってことで。

受賞作はどんなんでしょう。

1年後に借りるのが楽しみです。