うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

焼失しても後の祭り

後悔しても後の祭りやで

とよく言います。

あわてもんのぼくは後悔だらけの人生です。

 

「後の祭り」とは“祭りの済んだ翌日”とか

“手遅れ”など時機を逸して後悔の念を表す言葉ですね。

で、いまの時期、京都は祇園祭です。

ぼくが子どものころ、

うちの家は四条河原町にあって八坂神社の氏子だったので、

母は「八坂さんのお祭りやさかいな」と言い訳するように、

はもの蒲焼、鯖寿司などを買ってきてました。

母は生臭さが少しでもあるといやだったので、

とっても高級なお店で買ってきました。

なので、家族一人ひとりにはちょっとしかあたりませんでした。

 

その祇園祭で「後祭」(あとまつり)といえば、

24日の山鉾巡行なんですね。
昔は、17日の神幸祭(しんこうさい)と、

24日の還幸祭(かんこうさい)にあわせて、

前祭(さきまつり)と後祭の両方で山鉾巡行やってたんですね。

 

それが1966年にいったん合同化されて、

半世紀後の2014年に再び分化して、

山鉾巡行の「前祭」と「後祭」が復活したってことです。

ぼくの記憶にある後祭は花傘巡行という、

しょぼい行進だったんですが、

いまでは山鉾巡行に格上げされてるんですねえ。

 

今月号の「月刊京都」の表紙には

鷹山たかやま

って書いたちまきが描かれてます。

今年から、この山鉾もまた復活するんです。

 

鷹山は、応仁の乱以前から巡行に参加していた歴史ある山鉾で、

江戸後期時代には「くじ取らず」の山鉾として、

後祭では最後尾の大船鉾(おおふねほこ)の前を

巡行していたと記録に残っている。

という由緒ある山鉾でしたが、

1826年の大風雨によって

懸装品(けそうひん)を損傷し、

続く蛤御門の変で大部分を焼失して、

休み山

となっていました。

 

それがいろんな方々、鉾町の協力で、

約200年ぶりに復原されて巡行に復帰するというわけです。

コロナのせいで2年間、祭りそのものが中止されてたから

関係者の喜びはひとしおでしょう。

 

絢爛豪華な装飾が施された山鉾は

動く美術館

と称されます。

美術館とか博物館が大の苦手のぼくは、

このくそ暑い最中にわざわざ見に出かけることはありませんが、

若い女性の浴衣姿はちょっと見たいかな。

なんじゃ、これ。