うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

美空ひばりじゃあるまいし

「近江の子守唄」は、なかせさんの好きな歌の一つです。

「今度は滋賀県でうたうし」「この歌、好きな人いてはるし」

とか言ってはライブのセットリストに入れたがります。

それはいいんですけど、こないだの練習で、

高石ともやの「近江」を聴いてたら

私の思うてたんと違ううたい方やった

と言わはるので、へ~~と思って、

ほな、なかせさん、だれの「近江」を聴いて覚えはったん?

と訊いたら、

高石ともやの「近江」や

って答えるんです。

かんべんしろやって思いません?

 

なかせさんはメロディーを間違って覚える天才です。

頭の中で知らず知らず自分のうたいやすいメロディーに変換して、

正調だと思い込んでいるのです。

これを正しいメロディーに直してもらうのは至難の業です。

若い頃に脳に刻まれたメロディーはなかなか変えられません。

そもそも「私が覚えてるほうが正しい」と言い切れる性格なので、

たちが悪いんです。

 

ぼくのオリジナル曲ですら、

ええやん、こっちのほうがうたいやすい

とか言ってゴリ押ししようとします。

これ、なかせさんの言うことだから、ぼくもNo!と言えますけど、

もしも相手が美空ひばりだったらどうでしょう。

 

美空ひばり 最後の真実」という本に、

作曲家、船村徹のこんな言葉があると書評に紹介されていました。

歌手が作家の意図を超えてうたう、

つまり楽曲を作者の手から奪い取って、

自分のものにしてしまうことが極めて稀にだが存在する

 その例として、船村徹美空ひばりのエピソードを語っているそうです。

「みだれ髪」という歌に関してです。

ワンコーラス目の「投げて届かぬ想いの糸が」の歌詞につける

メロディー案が二つあって、悩んだ末に決めた。

ひばりさんはそれを知らないはずなのに、

捨てた方のメロディーをレコーディングのときに歌ったんだよ。

聞いてみたら、その方がいい。驚いた。

そこにこそ不世出の歌手ひばりの凄みがあるのだろうと、

書評子はくくっています。 

歌の天才はときとして作曲の天才を超える

ということなのでしょう。

美空ひばりではないなかせさんには、

もっと謙虚に

元歌に対面してほしいと切に願っています。