「近江の子守唄」は、なかせさんの好きな歌の一つです。
「今度は滋賀県でうたうし」「この歌、好きな人いてはるし」
とか言ってはライブのセットリストに入れたがります。
それはいいんですけど、こないだの練習で、
高石ともやの「近江」を聴いてたら
私の思うてたんと違ううたい方やった
と言わはるので、へ~~と思って、
ほな、なかせさん、だれの「近江」を聴いて覚えはったん?
と訊いたら、
高石ともやの「近江」や
って答えるんです。
かんべんしろやって思いません?
なかせさんはメロディーを間違って覚える天才です。
頭の中で知らず知らず自分のうたいやすいメロディーに変換して、
正調だと思い込んでいるのです。
これを正しいメロディーに直してもらうのは至難の業です。
若い頃に脳に刻まれたメロディーはなかなか変えられません。
そもそも「私が覚えてるほうが正しい」と言い切れる性格なので、
たちが悪いんです。
ぼくのオリジナル曲ですら、
ええやん、こっちのほうがうたいやすい
とか言ってゴリ押ししようとします。
これ、なかせさんの言うことだから、ぼくもNo!と言えますけど、
もしも相手が美空ひばりだったらどうでしょう。
「美空ひばり 最後の真実」という本に、
作曲家、船村徹のこんな言葉があると書評に紹介されていました。
歌手が作家の意図を超えてうたう、
つまり楽曲を作者の手から奪い取って、
自分のものにしてしまうことが極めて稀にだが存在する
その例として、船村徹は美空ひばりのエピソードを語っているそうです。
「みだれ髪」という歌に関してです。
ワンコーラス目の「投げて届かぬ想いの糸が」の歌詞につける
メロディー案が二つあって、悩んだ末に決めた。
ひばりさんはそれを知らないはずなのに、
捨てた方のメロディーをレコーディングのときに歌ったんだよ。
聞いてみたら、その方がいい。驚いた。
そこにこそ不世出の歌手ひばりの凄みがあるのだろうと、
書評子はくくっています。
歌の天才はときとして作曲の天才を超える
ということなのでしょう。
美空ひばりではないなかせさんには、
もっと謙虚に
元歌に対面してほしいと切に願っています。