うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

読んで楽しい、批評の教室

ああ楽しかった!

読んでためになった!

なんて感想を書いたら、

著者の北村紗衣(さえ)先生に叱られてしまいます。

それでもすごくいい本でしたと言いたいです。

読んでいるうちに著者のことを、

大好きになっていく本でもありました。

あの本、あの映画、どうでした? 

どこが面白かったですか? 

と先生に訊いてみたくなります。

 

大事なのは、「感動した」とか「面白かった」みたいな

意味のない言葉をできるだけ減らして、

対象とする作品がどういうもので、

どういう見所があるのかを明確に伝えることです。

と著者は書いています。

批評はなによりも、作品を楽しむためにあります。

という言葉の通り、この本は批評を志す人や、

ブログなんかで本や映画の感想を書く人だけでなく、

単に読書や映画・音楽鑑賞が趣味という人にも役立ちます。

そういう読み方、観方ができるのか!

という、読み方、観方のポイントを教えてくれるからです。

 

あなたがもし脚フェチだとするならば、

おそらく女性の脚が大好きだと思われる

クエンティン・タランティーノの撮影方法について

何か独創的な指摘ができるかもしれません。

自分の欲望に率直になるところから始めてください。

なんかぼくに宛てて書いたみたいな一節です。 

じゃ、タランティーノの映画、もういっぺん

脚フェチの観点から見直してみようかなあ、

と思ったりします。

 

読者に向けて、こんな設問がありました。

以下にあげるおとぎ話のうち、

リア王』に最も近いと考えられるものはどれでしょうか?

(1) 赤ずきん
(2) シンデレラ
(3) ジャックと豆の木
(4) 長靴をはいたネコ

 

正解はシンデレラなんですって。

昔話を整理・検討する研究があって、

主人公の行動や物語の展開を基本にして

話に番号を付けて分類しているそうです。

その分類法によると「リア王」は分類番号510Bで、

「シンデレラ」は510Aと、ごく近い話なんです。

「リヤ王」は同じ510B「いぐさずきん」

(イギリスの昔話)にそっくりで、

これは父親が三人の娘の愛情を試そうとした結果、

追放してしまうお話です。

リア王』はシェイクスピア劇でも

屈指のバッドエンドになる悲劇、

シンデレラはハッピーエンドの恋物語ですが、

序盤の展開はかなり似ているのです。

 

物語というのは、

ちょっといじるだけで悲劇にも喜劇にもなる

と教えてくれます。

 

著者は精読を勧めます。

しっかり読む、丁寧に読む。

一つ一つの単語の働きや文章の細かいところまで

注目する読み方です。

丁寧に読むなんて当たり前じゃないかと思うんですけど、

批評の歴史の中ではわりと最近導入された概念だそうです。

ただ、作品の歴史的背景や作者の人生経験を手掛かりにする

従来からの読み方も重要で、こんな例を挙げています。

 

アメリカのサザンロックのバンドである

レーナード・スキナード一九七四年に発表した歌

「スウィート・ホーム・アラバマ」の歌詞を見てみましょう。

ギターのリフが印象的な曲ですが、

歌詞のほうはおそらく歴史的背景を知らないと全くわかりません。

いきなり「ニール・ヤングは、南部男 (A Southern man)が

自分のことなんて必要としてないと/思い出してくれりゃあいいと思うよ」

とか説明なしに何か時事的言及らしいものが出てきます。

これは、この曲が革新的な政治運動を支持している

カナダのミュージシャンであるニール・ヤング

アメリカ南部の人種差別や保守性を批判した歌である

「サザン・マン」や「アラバマ」に対する

アンサーソングとして作られているからです。

 

ぼくより30歳も若い女性の著者が、

ニール・ヤングの「サザン・マン」を

出してきたのには驚きました。

著者はなんでか洋楽好きなんです。

こういうところにも好感を抱いてしまいます。

いろんな角度から読めばもっと楽しい発見ができるってことです。

 

私は実社会ではすごく人付き合いが苦手で

全く友達がいないので、

とぶっちゃけてるところもいいですね。

そんなの書く必要ないのに。

 

最後に、これ。

批評を書く時の覚悟として大事なのは、

人に好かれたいという気持ちを捨てることです。

人が喜びそうなことではなく、自分が考えたいことを考え、

書きたいことを書きましょう。

同感です。

100%ぼくを肯定してくれる著者に感謝です。

 

最後に本で紹介されていたうちの1曲をここに。

www.yo