うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

ソルティーライチに想う

なかせの好きな、タピオカ

キャッサバてお芋さんで、南方に出征した兵隊さんが食べたとか、

友人が教えてくれました。

でもタピオカも忘れ去られたみたい。お店は姿を消してますね。

 

ソルティライチは飲み物ですが、

このライチ、30年ぐらい前は冷凍物が売ってましたよね。

輸入されなくなったのかなあ。

 

18歳から8年あまり、南京の前線にいた父は良く食べたそうです。

冷凍ものを口にしたとき、あっちの方がずっと旨かった。と

他にろくに食べる物がなかったであろう父の感想です。

父は一体誰と戦っていたのでしょう。

 

二等兵からたたき上げで軍曹になって帰ってきた父は、

どんな手がらを立てたのでしょう。ほとんど話しませんでしたが、

戦争の夢を見てうなされたはると母は言うていました。

 

原爆投下、終戦と、ここしばらく大戦の追悼番組が

沢山放映されています。

昨日も学徒出陣した京大生の書き残した日記が話題に上がって

いました。終戦間際で特攻で亡くなった方、または自分だけ生き残った事を

戦友にすまない思いで暮らされた方、どちらにしても無念です。

 

学歴も持たず、日記も書かず、8年間従軍した父は

戦争が終わった時、終わったから帰れると信じていたそうです。

 

戦地で口にできないほど、ひどい事をしてしまった上官は

復讐を恐れて気が変になったと、父は言うていました。

 

普段は何も話しませんでしたが、

来客があって、仕方なしの会話で戦争の話を聞くことができました。

 

斥候に行ったとき、戦死した戦友を盾にして、塹壕に入っていると

遺体がピクピク動いて恐ろしかったこと。

ザリガニを採ったけれど塩気がなくて食えたもんじゃなかったこと。

 

「戦争で嫌と言うほど叩いてきたから、二度と叩きとうない

 叩かな正気に戻らんのや」てこと

 

帰国してからはマラニア熱で随分苦しんだそうです。

 

でもね、そんなことがありながら、あの「コンバット」は見ていました。

「戦争ってこんなんなん?」と聞くと

「こんなうまいこと行くか、バカモン!」と怒鳴られました。

 

青春の8年。たたき上げの歩兵にもっと聞いておくべきやったのか。

もう、これだけで充分の気もします。