うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

レのシャープ君とミのフラットさん

珍しく読書感想文です。

これ。

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ジュール・ヴェルヌの短編小説です。

十五少年漂流記」とか「海底2万マイル」とか、

子どもの頃に夢中になって読んで以来のヴェルヌ。

買ってからずっと読んでなかったんですが、

寝る前のビデオは寝つきが悪くなるのでやめて、

昨日は一気読みしました。

短くて読みやすいです。

 

左ページにフランス語原文、右ページにその日本語訳、

ページ下部に訳注があって、

フランス語を勉強してる人(中級者以上)には、

最適のテキストじゃないでしょうか。

ぼくはもちろんフランス語ページはスルーです。

 

本作では教会のパイプオルガンをめぐり、

少年時代の不思議な体験が語られる。

音楽と性へのめざめというテーマを

見事に昇華させた珠玉の一篇。

 

と解説にはありますけれど、性へのめざめって、

ぼくはそこまで読み取れませんでした。

 

けっこう音楽的な文章が多いです。

司祭館まであと50歩だった。

そこで私は玄関を指さすと、駆け足で逃げた。

そのあいだにノッカーが、3つの8分音符と

ひとつの4分音符で打ち鳴らされた。

 とか、その音が想像できる人は楽しいですね。

(ぼくはだめ)

 

主人公の「私」は、とある村の聖歌隊の一員。

変声期の前あたり年頃の少年です。

教会のパイプオルガンが故障して、

村の外から専門家がやってきます。

あの奇怪な輩――のっぽのほう――はエッファラーネという名だった。

ハンガリー人で、演奏者兼、調律師兼、パイプオルガン製作者

――つまりは――パイプオルガン職人(オルガニエ)で、

町から町に流れては修理を請け負い、その仕事で食い扶持を稼いでいた。

ということらしいです。

 

パイプオルガンについてはこんなふうに語られています。

私たちの教会のパイプオルガンは大きな型で、

24の主要音栓と54鍵の鍵盤が4つ、加えて、

2オクターブ分の根音を出せるペダル鍵盤を備えていた。

木製ないしは錫製の、舌(リード)ないしは

口(フルー)がついた管の森、

それがどれほど大きく見えたことか!

 

このエッファラーネはパイプオルガンの改良のために、

聖歌隊の子どもたちをパイプ代わりに使うことを思いつきます。

「幼子の声の音栓です」高い上背をぴんと伸ばしながら、

その変わった人物は返した。

「そうです! 私が思いついた改良です。

その音栓によってパイプオルガンは完璧となり、

さすれば私の名はファーブリの名をも凌駕することになりましょう。

クレング、エアハルト・スミート、アンドレ、カステンドルファー、

クレーブス、ミュラーアグリコラ、クランツ、

はたまたアンテニャーティ、コスタンツォ、グラツィエデイ、セラッシ、

トロンチ、ナンキーニ、カーリド、さらにはセバスチャン・エラール、

アベ、カヴァイエ=コルの名をも」

とここに出てくる名前はすべて実在のオルガン職人で、

ドイツ人、イタリア人、フランス人の順に並んでいるそうです。

ジュール・ヴェルヌは博覧強記っていうか、

こういう情報の羅列が大好きな人なんです。

「海底2万マイル」にもそういう”お遊び”が出てくるそうで、

いまでいうコピペ好き。

と以前、ジュール・ヴェルヌ研究者から聞いたことがあります。

 

このエッファラーネは奇怪な人物で、常軌を逸しているというか、

常人ではないというか、悪魔っぽいというか、

主人公の「私」は彼をとっても恐れます。

こんな一面もあるのです。

エッファラーネ師は頭をさげると、

半分閉じた親指で、自分の頭蓋骨の底をぱちんと叩いたんだ。
ああ、なんと! 

すると師の上部椎骨が金属のような音を発した。

そしてその音は、標準の振動数870を持つ、

正確なラの音だったんだよ。

 

ね、自分の頭蓋骨が音叉になってる男って、

思いっきり不気味じゃないですか。

この男が言うには、

人にはひとりにひとつ自分の音、

いうなれば生理学的な音があって、

それが合唱で出していい唯一の音

なんだそうです。

彼は聖歌隊ひとりひとりの「生理学的な音」を探っていきます。

そして、ここでタイトルの種明かし。

「私」の音はレのシャープ、そして

「私」があこがれる女の子ベッティの音はミのフラットだったんです。

私ははじめ、それでがっかりしたのだけれど、

よくよく考えてみれば、喜べばいいだけの話だった。

ベッティはミのフラットで私はレのシャープ。

ならば! つまりは同じということじゃないか。

私は手を叩き始めた。

その私に、眉をひそめながらオルガン奏者が尋ねた。

「同じ音だと! ああ! レのシャープとミのフラットが

同じだと思っているとは、なんと物知らずな、お前の耳は驢馬の耳か! 

そんなばかげたことを教えたのはエグリサックか? 

あなたはそれを許してきたのか、司祭? そして先生、あなたも……。

同じく、行き遅れのあなたも!」

ここ笑うところです。

行き遅れといわれたのは先生のお姉さんでした。

 

でも、レのシャープとミのフラットは違うようです。

「かわいそうな子だ、ではコンマとはなにかを知らんのだな。

レのシャープとミのフラット、ラのシャープとミのフラット、

等々を違える8分音を? ああ、なんとも! 

ここには8分音を聞きとれるものがいないのか! 

鼓膜は羊皮紙でできていて、硬く、干からびて、

破れているのか。

カルフェルマットにはそんな耳をした者しかいないのか?」

 

この8分音って、本当にあるんでしょうか。

知ってる人がいたら教えてください。

 

いよいよ物語は大団円へ。

教会に村人が集まり、修理の終わったパイプオルガンのお披露目があります。

主人公たち聖歌隊はパイプオルガンの中に「配置」され、

ひたすら自分の音を発するタイミングを待ちます。

エッファラーネ師があの恐ろしい手で

減7度(ディミニッシュセヴンス)の和音を、

つまり私が二番目を担うド、レのシャープ、ファのシャープ、ラを

押さえたときに私が感じた責め苦は筆舌に尽くしがたい!

そして奏者は、その和音を残忍にも、容赦なく、

いつ終わるともなくひき延ばすので、

私は心臓が止まりそうになり、

もう死ぬのだと思い、気を失って……。
こうしてレのシャープが欠けてしまったら、

減7度(ディミニッシュセヴンス)の和音は

ハーモニーの規則に鑑みるに、解決がされないはずだ……。

 

ここのくだりが面白いですよね。

ぼくに音楽の教養があればもっと腑に落ちたはずなのに、残念。

 

読後の印象は、SF的な幻想物語を読んだような、

ちょっと宮沢賢治作品の読後感にも似ています。

ラストは伏せておきますが、胸キュンもあるかなあ。

お勧めです。

ちとお高いですけど。