うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

それからのマリア

マリアとは、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアです。

実はかなり前にマリアのドキュメンタリーを見たことを、

古い日記に書いていました。

ここでその内容を改めて紹介したいと思います。


ドキュメンタリーの語り手は、トラップファミリーの次女マリア。

映画はマリアの自伝をベースにしているだけあって、
ほぼ実際にあったことを再現しているようです。

ちがうのは、トラップ家が全財産を預けていた銀行が
大恐慌で倒産して一文無しになって
下宿屋を始めたこと。

さらに、7人の子持ちだったトラップ大佐が
マリアとの間にも一男二女を設けたこと。
海軍大佐で、おまけに潜水艦の艦長だったから、
帰港したときにドッカ~~ン、ドッカ~~ンと
命中させるのが得意だったのでしょう。
トータルで10人とは、なんたるスキモノ。

 

それから脱出シーンも事実とは違うようです。
映画ではサスペンスフルに、
コンクールのさなかに抜け出て、
アルプスを徒歩で越えますが、
実際は列車に乗って、
イタリア経由で渡英・渡米したそうです。

また、ナチス党員だった執事の忠義によって、
救われたというエピソードもあったそうです。

 

アメリカに渡ってからのトラップ一家は、
合唱団として全国を巡るのですが、
クラシック中心のコーラスはウケなかったそうです。
そこでアメリカのフォークソングなどを採り入れながら

ツアーを続けるのですが、 食事代にも事欠く日々だったといいます。

 トラップ一家には苦難がつきまといました。

歌はウケず、ひとり1ドルの食事もままならなかったとか。
まあ、1940年当時の1ドルなので、

どれだけの値打ちかわからないのですが……。

 

オーストリア出身ということで彼らは敵性外国人と見なされました。
周囲の敵視を跳ね返すため、男の子は軍に志願してヨーロッパ戦線へ。

そんななか一家は借金をして、

バーモント州の片田舎に自分たちで家を建て、

自給自足の生活を営むことになります。

この生活ぶりが「戦時下の良きアメリカ市民」として
ライフ誌に紹介され、徐々に一家の知名度は高まるのです。

ここぞとばかりマリアが自伝を著わし、これがベストセラーになり、
さらには映画「サウンド・オブ・ミュージック」となり、
運気は一気に上向いたことでしょう。

 

ただし、そのころお金に困っていたマリアは著作物の権利を
格安で譲ってしまっていたため、
映画化による莫大な恩恵にはあずかっていないんだとか。

残念でしたねえ。

しかし、彼らは家のそばにトラップ・ファミリー・ロッジ

というホテルを建て、多くの映画ファンをもてなしました。

 

まあ、しかし、トラップファミリーのたくましいこと。
歌、楽器に優れた才を発揮するだけでなく、
家をつくり、作物を育て、家畜を養いました。

マリアは、それらをプランし、実行するだけの知性と

バイタリティがあったということです。
本を書き、講演活動を行いました。

 

ドキュメンタリーの語り手である次女のマリアも、
40歳から30年間、アフリカで布教活動に従事し、
黒人の男の子を養子としてアメリカに連れ帰っています。

そのたくましさは母親譲りですね。

これだけいろんなことがあれば、
ほんとに人生を生き切った感じがするんだと思います。

いやあ、ごっつぉさんでした。