労作
という言葉は、この本のためにあります。
膨大な資料をあたり、検証のために、
全国を食べ歩いた結果が、この一冊。
というか、当初は電子書籍で発表され、
それが早川書房編集部の目にとまり出版されました。
著者はITエンジニアだそうで、
本業のかたわらでこれだけの仕事をされたというのは
絶賛すべき偉業です。
ソース焼きそばは戦後の大阪発祥
という通説に対して、著者は次のように事実を整理します。
中華麺の普及が大正末期。
ソースを使ったお好み焼きが誕生したのは昭和になってから。
さらに、中華麺とソースが鉄板を介して出合ったのが
おそらく昭和10年代だったのではないか。
ソース焼きそばの発祥地については次の通り。
最古のソース焼きそば証言は、
大正六年・浅草千束町生まれの女性の子供時代で、
大正末期から昭和初期頃。
著者はこれについても考察しています。
・本来、お好み焼きはカテゴリ名であって、
お好み焼きという料理はなかった。
・「麩の焼き」起源説は間違い。
どちらも同じ料理を指していた。
面白いのは戦前のお好み焼きには、
西洋料理のパロディもあったという話です。
例えば「カツレツ」について作家の池波正太郎が
詳細を残しています。
最上のものは〔カツレツ〕であって、
これはメリケン粉を鉄板へ小判形に置き、
その上へ薄切りの牛肉を敷き、
メリケン粉をかけまわしてパン粉を振りかけ、
両面を焼き上げたもので、これが五銭から十銭だった。
なかなかおいしそうです。
ソースで食べたんでしょうか。
そうそう、正調ソース焼きそばには、
まず揚げ玉、天かすが必要なんですって。
昭和4年生まれ、江東区で幼少期を過ごした落語家、
自称するほどで、自著に天かすへのこだわりを書いています。
それも、茶筌で要領よく衣を玉に揚げたなんてのではなく、
実際の天ぷらの副産物でありたいもので――というのは、
天ぷらの種の、エビ、アナゴなどの魚介や野菜の類のエキスが
油に溶け出したのが、天かすに吸収されているからです。
以下は、金馬が残した正調ソース焼きそばの作り方です。
鉄板でもフライパンでも、火を点けて十分に温めます。
そこへ、天かすを敷きつめるのです。
天かすの油が溶けるので、わざわざ油を使うことはないばかりか、
天かすからは独特の風味が出てきます。
この上に、一センチ角くらいに切ったキャベツをのせます。
土台ができたところでそばをのせますが、
これは生そばでなく蒸しそばです。
生そばだと、えらいことになってしまいますから、
こればかりは蒸しそばでなければいけません。
天かすを敷き詰めて焼きそばを作ったら
どんな複雑な味になるんでしょうねえ。
昭和10年代にはソース焼きそばの屋台があって、
新聞紙をメガホン状の三角錐に丸めて、
そこに焼きそばを入れて販売していたそうです。
いまから思うと不衛生極まりないですけど、
ぼくの子どもの頃も、お豆腐屋さんが
お揚げを新聞紙に包んで売ってました。
昔、新聞紙は立派な包装紙だったんです。
あと、京都の「喫茶カトレア」の名前が出てきました。
焼うどんをメニューにしていたそうです。
そこの店主は、代々、八坂神社の水守の家系だそうで、
明治時代から家で食べられてきたという焼うどんを提供していた。
モチっとしたうどんと炒り玉子、ベーコンを塩味で炒め、
生キャベツの千切りを乗せ、
ソースを後からかけるという独特な品だ。
類似の品を他で見たことがなく、
食文化として定着していたわけではないだろうが、
戦前の京都にもソース味の焼うどんがあったことになる。
以上、食べることにも、ソース焼きそばにも、
まるで関心がないのになんで借りたんやろ、
とぼくは不思議な気持ちで読了しました。
ソース焼きそばは100年以上の歴史を持つ、
日本が誇るべき伝統的な食文化のひとつである。
とのことなので、今後は100年の歴史を思いながら、
ソース焼きそばを食べることにいたしましょう。