うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

ひとつの管でつながって生きている

タイトルと著者名からてっきり、

女性が書いた小説だと思い込んでいました。

私の盲端(もうたん)

この表紙絵、ソックスをはいた女性の脚がそそります。

「盲端」(もうたん)とは、医学用語でしょうか。

内臓器官で一方の端が閉じている管(盲管)の、

その閉じた端のことをいうそうです。

管の先が突き当りになってるってことでしょうか。

 

主人公は大学4回生の女子。

飲食店でバイト中に出血して倒れて、

気づいたときには人工肛門の身体になっていました。

ほとんどの読者は冒頭から、

オストメイトという未知の世界へと連れ去られます。

人工肛門のことは知識として知っていますし、

お腹に造られた人工肛門にパウチをつけて、

そこに排便することも、その便を処理し、

パウチを洗浄するためのバリアフリートイレにも

新幹線で入ったことがあります。

オストメイトという言葉も耳にします。

病気や事故などにより、お腹に排泄のための

ストーマ人工肛門人工膀胱)』を造設した人を

オストメイト』といいます。

厚労省サイト)

 

気がついたらオストメイトになっていた

主人公の衝撃、苦悩は想像にあまりあります。

しかし、その問題には触れられず、のっけから、

彼女が便の処理をどのように行うのか具体的かつ詳細に描写されます。

人工肛門の場合、普通の排便と違って便意がなく、

出るまでわからないそうです。

排便が不意にやってくるので、バリアフリートイレは

オストメイトにとって貴重で切実な存在です。

それがどこにあるのか、先客に占有されていないか、

「開」のボタンが青色に光っているか、

はとても重大な関心事となります。

 

オストメイト同士がつくるSNSサークルでは、

匿名で情報交換をしています。

それぞれが顔写真ではなく自分の人工肛門の写真を見せ合います。

大腸を裏返して造られたそれが、

ひとつひとつ違う色や形をしていることに主人公は気づきます。

他人の人工肛門は大きなイボみたいだったが、

自分のそれは花のように綺麗なものに思えた。

そんな主人公の感慨が表紙絵になっています。

 

SNSは非オストメイトにはわかりえない問題や悩みを

互いにぶちまけられる唯一の憩いの場であり安全地帯ですが、

かといってそこにすべてをさらけ出すことはしません。

やがて手術で直腸をつなぎ直して、

再び肛門から排便できるようになれた人は

そのグループから抜けていくからです。

それを見送る側になるオストメイトには、

複雑な感情が湧くことになるでしょう。

 

実はこれと同じ構図が、主人公のバイト先の飲食店で描かれます。

主人公は就活中の大学生です。

1歳年上の高卒社員が彼女に言います。

 おまえなあ、辞める時になあ、いい経験つめて、社会勉強になりました、

 なんて、言ってくれるなや
 あのなあ、おれら経験つむため働いてんちゃうねん。

 数年だけちゃう、これからも、ずっとこうやって生活していくんや。

 いくつになってもおんなじ仕事、いくつになっても現場仕事じゃ

 社会勉強になったなんて言われたら、おれら惨めやろ。

 今までお世話になりました、これだけでええねん。

 今後に活かしたいとか、将来のこと言わんといてや、なあ?

同年代の若者の人生がどこからかで分岐していき、

ある者はそこに生きづらさを感じるようになります。

 

話は変わるようで変わらないのですけれど、

ぼくは出生時に判定された性別が男性で、

心の性が男性で、恋愛対象は女性です。

さらに日本国籍を有する高齢者ということで、

この社会ではマジョリティーの一員です。

性的指向性自認が変わることはないけれども、

あるとき病気や事故によってマイノリティーになる可能性はつねにあります。

それはもちろん普段からわかっているつもりでしたが、

この本を読んでなおさらそう感じました。

いえ、人はひとりひとり、究極はマイノリティーなのだということを。

 

主人公は食事中に口から洩れる便臭に気づきます。

(あくまでも本人だけに感じられる臭いです)

口と腸が一直線でつながっていることを強く意識する一瞬です。

そんな主人公が同じ境遇の若い男と出会い、

奇妙な交流が始まっていきます。

それはそれは本当に奇妙ですし、かれらだけの体験なのかもしれません。

主人公がバイト先の飲食店で経験する人間関係も、

女性の同僚との関係も、ぼくには非常に興味深く感じられました。

このへんは本当に文学の力を見せつけられている気がします。

 

この本にはもう一篇、林芙美子文学賞受賞作

「塩の道」が収録されています。

てことは「私の盲端」は中編小説ですかね。

人間は口から肛門までひとつの管でつながって生きていることを

改めて意識させられる小説でした。

 

そうそう、不謹慎で申し訳ないけれど、

外出中に不意にお腹を下してトイレを探すあの苦しさは、

もしかしてパウチをつけた人にはないのかもしれません。

 

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