心淋し川(うらさびしがわ)
読み終えました。
素直に面白かったです。
舞台は江戸の片隅。
江戸、千駄木町の一角は心町(うらまち)と呼ばれ、
そこには「心淋し川(うらさびしがわ)」と呼ばれる
小さく淀んだ川が流れていた。
匂ってくるようなどぶ川沿いに建ち並ぶ
古い長屋の住人たち男女のドラマです。
江戸の庶民もののド定番という感じ。
ぼくは武士ものしか読んでこなかったので新鮮っちゃ新鮮。
連作集というのでしょうか、
同一の時期・舞台・登場人物の短編が続いていくなかで、
最後にはいろんな謎が解けていくという構成です。
それぞれの短編にもミステリーがあって読ませます。
謎(というほど大げさなもんじゃないけど)は物語の推進力ですね。
直木賞受賞作ってのもうなずけます。
母親の業を描いた「冬虫夏草」という作品が恐くて印象的でした。
現代の毒親を江戸に移し替えたのですね。
江戸時代の常識を教えてもらえるのも魅力です。
「明けぬ里」という短編に、
「そういえば・・・・・・姐さんは南谷寺に、目赤不動を拝みに?」
「ええ、そうよ 目白不動と目黒不動も、すでにお参りを済ませたわ」
というセリフが出てきて、へ~って思いました。
目赤ってあるんですね。
目白と目黒を合わせて、三不動と呼ばれるそうで、
不動明王には、迷いを断ち切る力があるんだとか。
「はじめましょ」という短編に出てくる、
口合段々(くちあいだんだん)という尻とりに似た言葉遊びも、
初めて知るもので、作家というのはこういうのを調べて調べて、
作品の小道具に上手に取り入れていくんですね。
恥ずかしながら、「心淋し川」を手に取るまでは、
心を「うら」と訓読みするとは知りませんでした。
ネットにはこんな解説が――
うらめしいの「うら」、うらやましいの「うら」が、
外から見えない「心」のことを表わしているという話をしました。
その「心(うら)」の対義語は、「おも(て)」でした。
中国では、毛皮の「裏」に対して「表」と言いますが、
日本では「心(うら)」に対して(漢字を当てれば)
「面(おも)」が対義語でした。
心(うら)で抱いた感情が外に現われるところが「面(おも)」=顔でした。
うらめしや~
おもてパン屋~
という漫才を思い出しました。
そして、なんとなんと、作者も告白していました!
「うらさびしい」という字をたまたま辞書で引いたときに、
「心」で「うら」と読ませるのを初めて知りました。
「心悲(うらがな)しい」とかもあると思うんですけれども、
それでタイトルにつけたという単純な理由ではあるのですが、
寂しさとか孤独とかせきりょう感、ですね。
これは立場とか生い立ちとか境遇にかかわらず、
誰でも何かしら持っている感情ではないかな、
普遍的なものではないかなと思いまして。
最初はそこにスポットを当てたというか、
ある意味この作品のテーマにもなっておりますので、
心淋し川や心町は場所というよりもテーマ的な意味でタイトルにしました。
あんたも知らんかったんかい!