昨日の新聞、京都欄に、
五山送り火で「い」の文字発見か
という見出しがありました。
かつては行われていたけれど、
その後途絶えて正確な場所がわからなかった
ひらがなの「い」の文字の送り火の痕跡を発見した
と、京都大学の研究者が発表したんだとか。
これがまた京都大学霊長類研究所の教授だそうで、
なんでおさるさんの研究所がそんなこと調査してるの?
って素朴に思いました。
そういう素人が抱くような疑問って、
プロの記者さんは当たり前すぎて頭に浮かばないんですかね。
ま、人間は霊長類の一員だからその文化も研究対象なのかしら……
この「い」の文字の送り火は明治の半ばごろまでは行われていたそうで、
江戸時代の文献などを手がかりに実地調査を繰り返した結果、
地元で「安養寺山」と呼ばれる山の高さ100メートルほどの山肌に
高さ5メートル、幅15メートルほどのL字型に削った跡が3か所、
見つかった。
ということです。
しかし、学者さんの世界もガチンコ勝負なんですね。
そこじゃなくて別の山だと主張する研究者もいて、
京都精華大学の教授は20年以上前から
だと主張しているとか。
「い」は市原の「い」を意味している
んですって。
はたして真実はどこにあるんでしょう。
安養寺山でも送り火はしていたけど、別の文字だったのか。
五山の送り火と「い」のほかに、まだ四つあるそうなので。
京大の先生は、
江戸時代の地図には「い」の文字は高野川の東側に描かれているが、
向山だと西になるのでおかしいのではないか
と指摘しています。
これ、江戸時代の古地図?
他府県の方にしたら、そんなこと、だれが興味あんねん!
って話ですけど、京都市民としては興味津々の論争です。
しかし、昔の人は「い」の送り火のことをなんて呼んでたんでしょう。
「大文字」というと言葉の座りがいいですけど、
もしかして「いもんじ」?