うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

遊女は帯を締めない

週刊誌記者近松門左衛門

近松門左衛門の代表作2作が

現代語訳で収録されています。

曽根崎心中」と「女殺油地獄

どちらもおぼろげにストーリーを知っていたつもりでしたが、

こうして現代語訳で読んでみると、

改めて鬼気迫る怖さを感じました。

書名の「週刊誌記者」というのは、

近松門左衛門が取材して事件発生から

数週間で浄瑠璃台本に仕立てる

という早業をこなしていたからですね。

そうなんです、どちらも事実に基づくフィクションです。

 

「心中」の語源が書いてありました。

遊女が心から愛する男に真心を示すことを

「心中立て」といったので、
そこから「心中」というようになったそうです。
情死は遊女にとって「心中立て」の極致といえます。

八代将軍吉宗は風紀の乱れを嫌って
心中法度を制定して、心中を厳禁しました。
「心中」には遊女の思いを礼賛する意味合いがあったので、

幕府の公文書では「相対死」(あいたいし)と言い換えられたとか。

 

現代、男女の心中事件はあまり聞きません。
一方で、無理心中は続いていて、
これらは実のところ、子殺し、家族殺人です。
心から愛する男に真心を示すという語源からすると、

「心中」という言葉はそぐわないですね。

メディアは幕府を見習うべきです。

 

曽根崎心中」の解説がなかなか興味深いです。

およそ房中で、しごきの帯をしめて寝るのは、太夫と天神だけである。
そのほか白人(しろうと)(編集部註・陰遊女)でさえ、
房中、帯をしめない。
賤妓(せんぎ)は丸裸で寝る。
これは、衣服をおしむためである。興覚めである
(出典 小野武雄『吉原と島原』講談社学術文庫

丸裸は興ざめってとこ、昔の人もわかってらっしゃる。

人形浄瑠璃女殺油地獄」では、

女中役の人形は上半身が肉襦袢だったそうで、

下働きの者の裸は珍しくなかったようです。

 

最初に「怖さ」と書いたのは善人を騙して金を奪う男、

身勝手極まりない理由で、あてにした女を殺す男、

そのギラギラとした刃物のような悪の怖さです。

こんな常軌を逸した悪に出会ったら一目散に逃げたいと思います。

 

女殺油地獄」はテレビドラマ化されてたんですね。

見てみたいです。

  

テレビ作品では、昭和五十九年(一九八四)和田勉が演出。
松田優作の与兵衛、小川知子のお吉、加藤治子のおさわ、
中村又五郎の徳兵衛、山崎努の七左衛門という顔ぶれで秀逸の作品。

それにしても、松田優作の与兵衛がいい。
可愛らしくもなく色男でもないところか哀れでせつなげで、
本当はこういう男だったに違いないと思わせるリアリティかあった。
しかしこの男、キレてからがそら恐ろしい。別の顔になるのだ。
狂気をはらんだ豹変ぶりが、物語の怖さを増幅させていた。