うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

B面で大ヒット

先日、NHK「英雄たちの選択」という歴史番組で、

作曲家、古関裕而を取り上げていました。

戦時歌謡、軍歌でも大ヒットを飛ばした人なのですね。

ぼくでも知っている歌が、いくつもあります。

代表曲といえば、

勝って来るぞと勇ましく

という「露営の歌」。

勇ましく~~ゥと音が上がって、

ちかって故郷(くに)を出たからにゃ

につながっていくところ、

上手にできてますよねえ。

 

軍歌でありながら、しかし、この曲を聴いていると、

戦意を高揚させるというよりは逆の印象を受けます。

短調ですし、哀調を帯びた、やがて物悲しいメロディーで、

よく採用されたと思います。

反戦歌とまではいわないけれど、

手柄たてずに 死なりょうか

明日の命を 誰が知る

夢に出てきた 父上に
死んで還(かえ)れと 励まされ

朱(あけ)に染まって にっこりと
笑って死んだ 戦友が

といった歌詞は、どれも死と結びついていて、

厭戦的な気分に誘われます。

ただ日本の軍歌って、こういうのが多い気がします。

滅びの美しさに、官民ともにとりつかれていたのでしょうか。

 

歌詞を書いたのは京都市役所に勤務していた

薮内喜一郎という人で、それゆえ、京都・嵐山に、

「露営の歌碑」があるそうです。

知りませんでした。

f:id:umeharanakase:20200628190803p:plain

「露営の歌」歌碑と古関裕而・金子。古関正裕氏提供。

歌碑のある場所は、渡月橋南詰から桂川大堰川)を上流に向かって

約100メートル進んだ左側だそうです。

(3ページ目)朝ドラ「エール」古関裕而と妻金子の“意外な素顔”3選 駆け落ち寸前の失踪事件を…… | 文春オンライン

 

ウィキペディアによると、 

 「露営の歌」はB面であったにもかかわらず、

A面の「進軍の歌」をしのぐ人気を得て、

当時としては異例の60万枚以上のレコードを売り上げ、

当時の有名な歌謡曲の一つとなった。

ということで、露Aの歌じゃなかったんです(なんのこっちゃ)。

 

ちなみにA面よりもB面がヒットした曲は、

GARO「学生街の喫茶店

ちあきなおみ「黄昏のビギン」

ハナ肇クレージー・キャッツ「スーダラ節」

ヒデとロザンナ「愛の奇跡」

ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁

松田聖子Sweet Memories

……などなど。

A面B面って、もはや死語なんですねえ。