うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

同志とは? 敵とは?

この本、とても人気があって借りるまでに

半年以上待ちました。

同志少女よ、敵を撃て

著者は逢坂冬馬という若い人です。

「おうさか」ではなく「あいさか」。

500ページ近い大作なのに、

ライト感覚で読みやすいです。

といっても軽い内容じゃなくて、

独ソ戦に投じられる女性狙撃兵が主人公という、

重いテーマ性が感じられる作品です。

 

著者は1985年生まれ。

本作は第11回アガサ・クリスティー賞大賞に輝いた作品で、

2021年の受賞時は36歳?

もちろんお若いのですけれど、

10代20代というわけでもありません。

なんで若い人の作品と思ってしまったかというと、

表紙のイラストの印象が大きいかも。

あるいは内容が、アニメでよくある、

少年少女が戦闘マシンにされるお話だからか。

 

期待が大きすぎたせいか、読後感はいまひとつでした。

大好きな方には申し訳ないです。

あくまでも個人の感想です(当たり前)。

狙撃兵もの、スターリングラードものは何作か読んでいて、

(「極大射程」「スターリングラード」など)

大好きなジャンルなのに、

ああ良かった! と思えないのはなんでなのか。

ほんとによく調べて書いてあるし、

狙撃兵同士の駆け引きもよく描けています。

ストーリーも飽きさせません。

それなのにどうしたものか。

言いたかないけど年のせい?

 

当然、現実の戦場は知らないので、

ノンフィクション、ドキュメンタリーを

見たり読んだりして想像するしかありません。

戦場で人は獣にも悪魔にもなり得ると想像します。

それゆえ戦場で理性ある行動をとらなかった個人を責めるより、

人間を狂気に駆り立ててしまう戦争そのものを否定することに、

ぼくらの関心は傾いていたように思います。

 

けれど、いまのウクライナを見ていると、

侵略に抵抗する戦争が悪とはいえません。

そして戦争犯罪で裁かれるのは国ではなく個人です。

プーチンには逮捕状が出ているし、

ウクライナだれがどんな犯罪を犯したか記録し、

犯罪者個人を特定しようとしています。

戦争という大きな悪のなかで犯される

個々人の悪が追及される時代です。

一方で、戦争と関係ないですが、

LGBTとか多様性とかいう概念が

当たり前になった時代です。

 

そういう時代の変化のなかで、

戦争観も男女観も古いままのぼくは、

この作品に出てくる少女の同志ではないし、

戦場においては敵にすらなりそうな、

存在かもしれないと感じます。

 

小説のなかで、同志は必ずしもソ連軍ではないし、

敵は必ずしもドイツ軍ではありません。

いまという時代から過去を照らして

「同志」や「敵」を浮かび上がらせているように、

古い人間には見えてしまって、

そこに違和感を覚えるのかもしれません。

(ネタバレになるので書きづらい)

 

余談ですが、人間は人間であることを、

戦場の極限状況においてもやめようとしないことが、

わかってきているようです。

第二次世界大戦を経験した兵士の聞き取り調査をした

戦史家がいて、その著書が注目されたそうです。

どたんばに追いつめられた状況にあってさえ、

「実戦部隊の」兵士たちのわずか約四分の一しか、

敵に対して自分の武器を使用しようとしなかった

という驚くべき調査結果が、

戦史界における大きな発見とされています。

 

その逆に、スコープに敵の姿を捉えて確実に殺害していく

狙撃兵の精神状態たるや、いかなるものか。

理性と狂気の配分はどうなっているのか。

そんなことを考えさせられました。