うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

故意におちて

じゃなくて、恋におちて、か。

この曲をやってみたいとなると、

朝から晩までその歌のことばかり。

ギターを持ったら、そればかり弾いてしまいます。

 

なかせさんがこの曲でやる気になってもらうにはどうしようかと、

その歌の難しそうな部分はぼくが受け持つことにして、

なかせさんには、わかりやすいメロディーで、

英語も難しくない、おいしいところだけを提供するとか、

あれこれ工夫もします。

 

そんなふうな、歌に乗っ取られたみたいな状態は、

恋の情熱のように一時的にぶわっと燃え上がります。

それがどれくらい続くかというと、

まあ、1週間くらいですかねえ。

練習の日に試してみて、うまくいかないと、

がっかりして、しゅんしゅんしゅん~~~としぼんでいきます。

 

逆に、これはいけそうだとなると、

やっぱりまた燃え上がります。

練習が楽しいときって、あ、できそう! 

と思えたときですよね。

これは公文式といっしょです。

できるって楽しいのです。

 

こんなことをいままで何百回もくり返してきたわけで、

よくもあきないなあと思います。

それで、最近はいつも、

おれはもうやりたい曲がないねん

とおっしゃった箕岡さんを思い出して、

みのさん、ぼくら、やりたい曲、まだまだありますよ~~

と声をかけます。

天国から聴いてくださいね~~~~~

と。

 

いま恋におちてる曲が聴いてもらえるかどうか、

なかせさん次第なんですよねえ、これが。