だれかがほめてたから借りたんでしょう。
いまとなってはなんで読んだかわかりません。
スイッチ 悪意の実験
メフィスト賞って、
全ての応募作を編集者が読んで、
編集の誰かがその作品を気に入れば、
そのまま受賞もありえるのだそうです。
選考委員がいない(作家が選んでない)
ってことですかね。
あらすじは上のサイトにあります。
副題「悪意の実験」の通り、
自分にとってなんの利害がなくても、
だれかを破滅させたいという、
「純粋な悪意」が存在するかどうかを
心理実験で確かめるという話から始まります。
ぼくはミステリーとしてよりも、
中に登場する架空の新興宗教、
「光意安寧教」の教義に興味を持ちました。
神が全知全能であるならば、
神はあまねく宇宙を満たしていなければならない。
という前提から――
私たち人間は神の一部。
神の一部であるということは、
神そのものであることも意味します。
人の子にとって、超越者の一部でありすべてである
という事実以上の救いが存在するでしょうか。
つまり私たちはすでに救われている……
万人が光意の境地に至り、
表層的な苦痛から逃れて安寧を享受する、
これが、私たち光意安寧教の目指す世界です
と教祖は説きます。
人間は不安や苦しみにとらわれているが、
(我々人間は神そのものであるゆえに)
それは幻覚なのだから、
自身の苦痛を調整することも可能だと。
ただそういうことができるまでの境地(光意)に
達した者は教祖本人も含めてまだいないので、
信ずる者みんなで、その道を目指そうと。
面白いのが、その境地――
「悟り」というのか「解脱」というのか
――に達するとはどういうことかというと、
自分のなかにもうひとりの自分をつくること、
すなわち二重人格(多重人格)になることだと
示唆しているように読めるところです。
人は自分の中に完全無欠の自分を
つくることができる。
なぜ完全無欠でいられるかというと、
自分のなかだけで完結していられ、
批判も反論も受けない世界にいられるからなのでしょう。
自分に不自由を強いる他者などいらない
と強烈に決意してもうひとりの自分のなかに逃げ込めた者は、
自分がこうありたいと願う世界を生きることができる?
それは解脱なのか精神障害なのか……。
ここであの人物が浮かびます。
未曾有の大惨事を引き起こした教祖は、
目の前の不本意な現実から逃避するために
「解脱」したのでしょうか。
罪の意識も反省も後悔も一切なく。
人は自分以外の人の意識を経験できません。
とことんのことをいえば、
自分の認識してることがすべてで、
あとはなにもかも自分の想像の産物かもしれません。
いまこうして文章を書いている自分も、
これを読むなかせさんも、
実在してるかどうかわからない。
ほんとうにぼくはここに「ある」のだろうか……。
ふいに後ろを振り返りたくなります。
作中に登場した音楽、
ヴァン・ダイク・パークスの「ソング・サイクル」
をYouTubeで探しました。
登場人物が、わけのわからないときは
わけのわからない曲を耳に流したいといって、
この曲をスマホで聴くんです。
本作はおよそ半世紀前に発表されて以来、
聴く者に困惑を振り撒き続けているアルバムだ。
とにかく、わからない。
意味が分からない楽曲集なのだ。
と紹介してあって興味が湧きました。
確かに最後まで聴けませんでした。