うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

1974:湯川家具のぼく

暑くなりました。

京都市は35,9度!

昨日から家の中では半ズボンと裸足です。

 

さて、ABCハウジングの思い出を書いてから、

学生時代の音楽活動が芋づる式に思い出されました。

当時、3人組バンドをやってまして、

小さなプロダクションのお世話になってたんです。

ひとつは十字屋、いまのJEUGIAにあった

J企画っていう部署です。

いかにも自由人っぽい(社内では日陰者っぽい)男性社員さんが、

あちこち連れてってくれて、

デパートの屋上イベントとか出演してました。

 

もうひとつは今出川寺町だったか(場所はうろ覚え)、

雑居ビルの一室を借りただけの、

ほんと小さなプロダクションで、

こちらも人の好さそうな男性が、

いくつか仕事を紹介してくれたようです。

(こういう営業は全部リーダーの千田君が取り仕切ってました)

ちゃんとしたスタジオでデモテープもつくってもらいました。

 

そんななかで印象に残ってるのが湯川家具のCM。

これ、テレビCMだったんです。

歌はいまでも覚えてます。

C       Am   F       G7

しあわせさんこちらです しあわせさんこちらです

F   C Am   F G7 C

ラッキーゾーン    湯川  家具

 

うたったのはぼくらじゃなくて、

あらかじめ録音された歌が流れて、

ぼくらはうたってるふりだけ。

撮影したのはどこだったか。

太秦の映画スタジオだった気がします。

広いスタジオ内に歌番組みたいなセットがつくってあって、

クレーン撮影車がありました。

 

そのゴンドラ上にいたのがなんと!

チャンバラトリオで頭(かしら)と呼ばれてた人。

ウィキペディアで見ると南方英二って人らしいです。

その人がCM監督だったんです。

テレビで見る顔とはまた別の顔で、

ギョウカイだなあって感じました。

 

エキストラが30~40人呼ばれて、

その中から監督がチョイスして真ん中に人を集めます。

最初に声がかかったのは、郷ひろみみたいな、

色白で眉毛のきりっとした、

いかにもアイドルっぽい、かいらしい男の子でした。

モデル事務所から来たのかなあ。

 

で、そのアイドル顔の子のまわりに

女の子、男の子を並べていくかっこうで、

最初に監督が指を差したのがぼくでした。

え、え? ぼ、ぼく? 

驚いたけど、考えてみたら

ぼくは大きいウッドベースを抱えてたんです。

わざわざこんな重いものを持っていったんだから、

事前に楽器持参で来るよう言われてたんでしょう。

 

あと、ぼくは赤いセーターを着てたので、

色目的にもよかったのかもしれません。

リーダーの千田君は、監督に指名されてないのに

気がついたら真ん中にいました。

ええ根性してます。

 

演奏もしてないのに、こんなもらえるの! 

と驚いたのは覚えてますけど、いくらもろたのか。

 

ギャラよりうれしかったのが、

テレビで何回もCMが流れたことです。

自分がうたってるとこをテレビで見られたんです。

(口パクですけどね)

クレーン撮影を活かして、

グググーーゥと視界が広がってくカメラワークです。

YouTubeでさんざん探したけど、見つかりませんでした。

なかせさん、読者の皆さんには作り話と思われそう……。

 

探したらTikTokで見つかりました!

00:44のとこ見てください!

www.tiktok.com

 

映ってるの最初だけやん!

50年前のぼく(右横は千田君)。