堀川高校に通っていたときに、
四条大宮北東角にある「水車」というグリルで、
カツライスをときどき食べたものです。
トンカツの載ったライスにデミグラスソースがかかったもので、
シルバーの金属製皿で供され、先割れスプーンで食します。
たしか250円だったかなあ。
その大宮からもう少し西に行くと壬生川(みぶがわ)通り。
そう、「壬生川」だとずっと思ってました。
ところが、ある人は「壬生通」と呼び、
ある人は「壬生川通」と認識しているそうなんです。
今年の7月5日付朝日新聞に記事がありました。
その道路は、中京区の中京警察署あたりを北端として、
世界遺産・東寺が面する九条通に届くまでの約2・7キロにわたり、
南北に伸びている。
平安京を行き交う人々には「壬生大路」と呼ばれた、
由緒ある主要道路のことだ。
とあります。
京都、名前統一されない謎の道路 研究者「許せない…」:朝日新聞デジタル
記者が北から南へ、道沿いの道路標識を確かめてみたところ、
「壬生川(通り)」の標識。
七条通には「壬生(壬生川)」という並列表記の標識もあった。
川の字は見つからなかった。
ぼくはせいぜい四条周辺しか知らなかったので、
この通りは壬生川だとばっかり思ってました。
ただ、壬生川って川はどこ? とも思ってました。
疑問に思って調べた市民によると、
梅小路公園のそばにかつてあった大内小学校の所蔵文書に、
1889年に成立した大内村の景観として
「河川トシテ見ルベキモノナシ」という記述があることも、
各区の歴史をまとめた「史料 京都の歴史」(平凡社)に記されていたという。
記者が過去の住宅地図を調べたところ、
少なくとも1966年版の地図から「壬生川通」が登場するようにもなっていた。
95年、市に道路標識を壬生通に統一するよう要望。
市は96年、七条通の標識を「七条壬生川」から
「七条壬生(壬生川)」に換えた。
さらに97年、下京区からは
「市の広報や市民新聞では『壬生通』とする」との回答も得たという。
ところが「壬生通」に統一されてないんですねえ。
標識もちゃんと「壬生川」になっています。
この地域の道路標識を担当する市建設局南部土木事務所の担当者は、
取材に「我々が認定している道路名は壬生通だ」と説明しつつ、
「壬生川通という名称も地域に親しまれている。統一する予定はない」
と語った。標識に関するルール上、通称名表示が認められているという。
ってことで、川がないにもかかわらず元の地名に川がついたという、
皮付きウィンナーでもあるまいし、わけのわからない話です。
壬生川に慣れ親しんだぼくですけれど、
名前の根拠となる川がないのだったら「壬生通」でいいと思います。
かつて「壬生大路」と呼ばれた名残の通りであったなら、なおのこと。
でも、地元の人は「壬生川」を残したいのでしょうねえ。