うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

うめなかジェンダー交差歌唱

いま練習してる英語の曲があって、

なかせさんが言うには歌詞が違うというんです。

なかせさんが持っていたのはエミルー・ハリス版。

ぼくが持っているのはポール・マッカートニー版。

うたい手が女であるか男であるかで、

三人称のhimとかherが違うんですね。

そういえば英語の歌ではよくあることです。

うたい手の性別に合わせるために歌詞を変更します。

 

ところが、日本の歌、とくに演歌や歌謡曲では、

男がそのまま女として歌をうたいますよね。

これをクロス・ジェンダード・パフォーマンス、

ジェンダー交差歌唱(CGP)というそうです。

男性歌手が女性一人称主語の、

あるいは女性歌手が男性一人称主語の歌詞の曲を

うたうことを指します。

近頃はなんでもジェンダーという言葉が出てきますなあ。

 

日本語はジェンダー化された言語であるため、

「僕」「あたし」などどのような主語を選択するかにより、

歌詞は容易に女性主体/男性主体が「歌う」言葉となる。

ってことらしいです。

ところが、英語や中国語、韓国語はそうじゃないんです。

英語の一人称“I”は性別を示しません。

“ I love him ” は容易に “ I love her ” に置き換え可能となります。

てなわけで、歌詞の一部をちょこちょこっと直すだけですむのです。

小さいけど、赤線を引いたとこだけ。

だけども、うめはらなかせは日本人だし、

おまけにうたうのがなかせさんだし、

英語が京都弁だし、

別にジェンダー交差歌唱していいんじゃないでしょうか。

who cares!

ですです。