精進湖を後にバスに乗ろうとしたとき、
意表を突かれる石碑がありました。
晶子が読んだ歌
上九一色の人達が大切になさっていた歌なんでしょう。
息子の誕生日で、忘れられない日になりました。
毎日、毎日「上九一色」と連呼されてましたもんね。
このリズミカルな地名が私は好きだったんです。
どこにもない響きを持っていて心に残っていました。
この歌碑がたてられたのは、オームがサティアンを立て始めた歳。
村の人達はこんな事件になるとは思ってもおられなかったでしょう。
その後、イメージ回復に務められたようですが、上手くいかず
上九一色は分割され、上九一色村はなくなりました。
私はこのニュースも覚えていました。
オームが来なければ、もう少しこの希少な名前を
残すことを考えられたかも。
バスの運転手さんが、
「ここも、もう少し富士の手前右側も上九一色だったんですよ」
と指をさして教えて下さいました。
教えて貰っても、私に見えるのは富士と原生林だけ。
上九一色、無念の地名だったことでしょう。
富士山は輝いていました。