うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

余談の多い小説だったんです

またまた人気のない読書感想です。

アクセス数は惨憺たる数字です。

 

今回はずっと家にあった「韃靼疾風録」。

父の蔵書です。

その上巻を読み終えて下巻が見当たらなかったので、

泣く泣くブックオフで買いました。

古本でも400円以上したので、

さすが司馬遼太郎は人気ですね。

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韃靼(だったん)というのは漢民族が、

8~13世紀初にいたモンゴルの一部族、

タタールのことをそう呼んでいて、

やがてモンゴル人全体をさす言葉になったようです。

この小説のなかで作者が韃靼と呼んでいるのは、

モンゴル人全体ではなく、

現在の中国東北地方にいた小さな民族のこと。

これを、

漢民族は、古来、女真人とよび、ときに満洲(マンチュー)とか、

”満韃子”(マンダーツ)とよんだ。

そうです。

ちょっとややこしいですが、作者は女真の人々を

小説では韃靼と呼ぶことにしたということですね。

 

物語は明から清へ、王朝が変わっていく前後を描いています。

清王朝を立てた女真人の人口はせいぜい50~60万人。

兵の数は後方勤務や病人まで入れて10数万人でしかなかったのですが、

この寡兵でもって数億の中国を治めたわけです。

よほどりこうに注意深く統治したということですね。

 

その統治の仕方のひとつに「辮髪」(べんぱつ)

という女真の風習の強制がありました。

ここからは「余談になるが」と小説そっちのけで

自説を開陳する司馬遼太郎節炸裂です。

 

なお、余談に出てくる睿(えい)親王とは女真の王ヌルハチの子で

清の皇帝(ヌルハチを初代とすると二代目)の摂政を務めた人。

庄助とは明が滅び清が興る時期に中国に滞在した日本の侍です。

本来なら庄助が主人公になるのかもしれませんが、

この小説の主題は清の勃興なので、庄助は主人公というより

物語の狂言回しの役割を務めているかのようです。

 

「辮髪」
なんと異様なものであろう。

それにしても、髪形を国是とし、

それでもって領域を広げて行った帝国は、世界史にない。 

辮髪について、以下は余談になるが、

主な地方において、旧明の勢がつよい反発をみせつつも、

清の勢力がかろうじて固まりはじめた時期、

親王は容赦なくこれを強制することに踏みきった。

反抗するものは、見せしめとして辻々で刑殺した。
床屋が、臨時の警吏になった。
かれらは、剃刀の入った道具箱をかついで、

町々をふれまわったのである。

 

頭をとどむれば髪をとどめず。
髪をとどむれば頭をとどめず。

 

この国の言語は、語呂の良さを尊ぶ。
庄助は、この対句に、脅迫と滑稽を同時に感じた。

首をいままでどおり胴に付けておきたかったら髪を剃れ、

髪を愛してそのままにしておきたければ、首はうしなうものと思え。

 

留頭不留髪 リウ トウ プー リウ ファ
留髪不留頭 リウ ファ プー リウ トウ

 

韻もよく、高唱するに耐える。

この二句をとなえて歩くと、詩でも唱えているような音楽性がある。

 

さすがに髪型を無理やり変えられるのは民族の誇りを

いたく踏みじられたと感じた人もいたようで、

そういう人は生きづらかったことでしょう。

もともと髪のない人間はその点、

気楽でよかったなあと思いました。

そういえば漢民族の女性の髪型には触れていません。

女性は蚊帳の外だったんでしょうか。

 

こうしてところどころ余談が入って、

黒子だった作者がこそっと顔を出すのが

司馬小説の面白いところですね。

それは脱線といって、ふつうじゃあまりないと思うのですが。