レンタルが出たばかりで新着扱いなんですが、
思い切って借りました。
面白かったです。
難解だという前評判だったので意外。
宮崎アニメはわかろうとするのではなく、
楽しむだけでいいんだと思います。
なぜ? どういう意味? なんの象徴?
と悩むのではなく、
ワンダー(不思議)で満ちた世界に
ただ驚き、楽しむこと。
疑問はいっぱい湧いてくるけど、
正解はないだろうし、答え合わせもできないし。
アニメらしい誇張や、見たことのない風景、
異形のものたち、そして懐かしい
あれやこれやとの再会があります。
洋風日本家屋に使われる三和土のタイルの彩り、
浴衣や壁紙のシンプルな柄、
軍用機のキャノピー(風防)のアクリルが玉虫色にきらめく様、
デザインや色彩の美しさは宮崎アニメならではです。
これまで見た宮崎アニメを思い起こさせる
風景、キャラクターがぞろぞろ。
もちろんまったく同じではないんですけど。
アニメは実写と違って、
見えたものを脳で解釈し直して再現します。
これはこう見えるのだ、とアニメーターが考え、
その「考え」が映像になっています。
なぜそう見えるかに作者の意図があると想像します。
たとえば車を運転している父親、
戦車から上半身を出して行進する兵士は、
車体に比して大柄に描かれていました。
権威主義的で傲慢な俗物が、
誇張表現されているのかも。
まあ、わかりませんけれど。
宮崎駿監督は毎度毎度同じモチーフを、
ああでもないこうでもないとこねくり回して、
見せてくれるのですけれど、
それがちっとも退屈じゃない。
ああ、またそれね、と思いつつ引き込まれる。
なんでなんでしょう。
ひとつはこれが昔話や神話、児童文学に典型的な
「行きて帰りし物語」なんだからだと思います。
出発→試練(発見・成長)→帰還という物語構成に、
子どもも大人も夢中にさせられます。
だれだってどこかへ行って帰れば物語の主人公です。
「行きて帰りし」はぼくらが日常、経験すること。
あんなことがあって、こんなことがあって、
とだれかにしゃべりたくなるような体験をすることもあります。
宮崎監督はそれをだれより上手にしゃべれる人なんですね。
ぼくらはこの作品のなかで、
主人公とともに、こちら側じゃないあちらの世界に行き、
またこちら側に帰るまでの旅を、満喫できます。
人間、だれしも、だれかを、なにかを喪(うしな)います。
ときにそのことを自分の罪と感じ、抱え込みます。
そして喪ったものを回復しようとあがきます。
それが「生きる」ということかもしれません。
回復できないまでも、喪ったものを心にとどめ、
それを大切に抱え、前を向いて生きようとする主人公に、
共感し、勇気づけられます。
大切なものは喪うに決まっているから、
美しく切ないのです。
環境とか戦争と平和とか、
たいそうなことは背景に追いやって、
ただただ個人の興味関心の大風呂敷を広げた感じ。
自分の内側を掘って掘って、とことん掘って、
丹精して掘り出したものが普遍性を持ち、
世界中の人の胸を打つ。
これぞ芸術家の仕事なんですね。
本作の場面写真については、鈴木敏夫プロデューサーが
常識の範囲でご自由にお使い下さい。
という直筆メッセージをHPにあげたそう。
遠慮なく使わせていただきました。