うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

8月6日のオーバーツーリズム

もう先々月のことになります。

6月に広島に行きまして、

ついでといってはなんですが、

広島平和記念資料館を訪ねました。

先に原爆ドームに向かって手を合わせます。

79年前にここで起こったことを考えると、

体中の血がカーーーッと熱くなるのを感じました。

 

広島は京都といっしょで、外国人観光客でいっぱいです。

広島平和記念資料館も例外ではありません。

というか、人数としては、

日本人より外国人が上回っている印象でした。

 

来館者は多いのに、順路は静かです。

声を出す人が極端に少なくて、

熱心に見学する人ばかり。

そういう人でないと、

こんな地味な施設には来ませんよね。

 

1945年8月6日、原爆投下直後の様子を

聞き書きして作成した絵が何十も展示されていて、

それを一つ一つ見ていきます。

列はゆっくりとしか進みません。

それでも、目を引くものだけを飛ばし飛ばしに見る人はいなくて、

どの人も絵に吸い込まれるみたいに、

集中していました。

 

馬車で運送業をしていた車夫のエピソードが

ぼくにはたまりませんでした。

車夫は、自分も馬も死が近いとわかっていて、

馬が少しでも楽に自由になれるようにと、

最後の力を振り絞って馬具を解いてやるのですね。

そうやって同じ場所に、

馬と人が並んでこと切れている姿を目撃した人が、

彼らの最期を想像して語ったものを、

絵にしてあったのです。

館内は照明を落として、薄暗がりだったので、

ぼくにはちょうどよかったです。

 

ただ、展示物の解説文の文字は小さくて、

そのうえ暗いから年寄りにはとても読みづらいんです。

英訳文はもっと細かい字でした。

このあたり改善していただければと思いました。

 

オーバーツーリズムは受け入れる側としては

不平不満の種となります。

しかし、外国の方々が大勢、

広島の悲劇に関心を持っていただいて、

この施設を訪れて、

原爆の恐ろしさを感じてもらって、

お国に帰っていただけるのであれば、

オーバーツーリズムも悪いことばかりじゃないと思いました。