今朝は晴れ間の見える空ですが、
昨日は朝から雨でした。
玄関まで朝刊を取りに行って、
新聞配達ごくろうさま
っていつも思います。
雨の日に朝早くから仕事って、
だれでもいやだろうし、
なにより休めないのが大変です。
ぼくはずっとフリーライターの仕事をしていて、
それなりに不安な日々がありました。
(そんなふうに見えない、堅実そうとよくいわれます)
仕事が途絶えて生活が不安になったとき、
いまからでも新聞配達ならできるかな、
とよく思いました。
朝の早いのは多分平気。
一度やると決めたら死んでもやるような性分なので、
十分使い物になるだろうと思うんです。
中央市場で早朝のバイトもしてたし。
ただ仕事と両立できるかどうか。
ライターは出張もあるし、急ぎの仕事で徹夜もあるし。
毎朝べたーっと配達でふさがるのは、
やはり仕事に差し支えると思いました。
昔は限定的な働き方もなかったですし、
働く以上は一定の収入もほしいし。
もし自分が新聞配達やるとしたらという
シミュレーションは頭の中でいっぱいしてきたので、
新聞配達は他人事に思えなくて、
それへの感謝の念は人一倍あるんです。
20代の十字屋営業マン時代、
ヤマハのシステムキッチンを売っていたときの
お客さんを思い出します。
そのお客さんはカウンターキッチンを希望されていて、
一方でダイニングテーブルは不要とおっしゃるんです。
ぼくは研修で学んだセオリー通り、
いえいえ、カウンターキッチンはサブで使うもので、
夕飯はやはりメインのダイニングテーブルで
されたほうが、と生意気にお勧めしたんです。
そしたら、お客さん、
うちは家族で新聞配達をしていて、
全員が集まるのは朝食のときだけ、
時間も短いので、せめてきれいなカウンターキッチンで、
そろって食事したいとおっしゃったんですね。
それを聞いて、はっと思いました。
1年365日、毎朝新聞を配り続ける仕事のことを。
家業が家族のかたちを決めてしまう、
ってことがあるんだなと、
サラリーマン家庭で育ったぼくは、
初めて理解しました。
家族旅行とか、夕飯の団欒とか、日曜の朝寝とか、
普通の暮らしがほぼできないんです。
普通、普通っていいますけど、
そもそも普通はないんですねえ。
雨の日の朝、朝刊を取りに行くと、
あのお客さん、いまも家族で
新聞配達してはるかなと思い出します。
昨日は下鴨茶寮のお弁当を呼ばれてきました。