このところなかせさんが
続けて書いてくれてたので助かりました。
ぼくが忙しいからなんですね。
一昨日の日曜は朝の5時起きで仕事をして、
お昼に左京区の元新洞小学校に行きました。
京都市立新洞小学校が閉校になって
「元」がついてるようです。
実はここ、「青春カムバック」主宰者、南さんの母校なんです。
あんたらの名前が回覧板でまわってきてびっくりしたがな
とおっしゃって、訪ねてくださいました。
1869年というと明治2年ですか。
そこから2013年まで続いていました。
ぼくの母校の永松小学校も1869年に生まれて、
一足早い1983年に閉校になりました。
1869年、多くの番組小学校が京都で誕生したんですね。
ウィキペディアには――
京都の町衆たちの手によって、
当時の住民自治組織であった「番組(町組)」を単位として
京都(当時の上京と下京)に創設された、64の小学校を指す。
これらの小学校は、1872年(明治5年)の、
国家による学校制度(学制)の創設に先立つ、
日本で最初の学区制小学校であった。
ぼくの母校と同じ年に建てられた小学校なので、
校舎のどこを見ても懐かしさを感じます。
こちらは日時計。
おトイレは和式でした。
同じ市立小学校だから備品も同じなんでしょう。
運動場にこのこの演台(?)も見覚えがあります。
しかし、街中にこれだけの空間は貴重な財産です。
この日は新洞社会福祉協議会30周年の催しがありました。
会長挨拶、来賓祝辞に続いて落語。
演者は桂塩鯛さんです。
こんな開けた場所で、小学生も動き回るなか、
落語に集中するのは大変でしたでしょう。
さすがプロの芸です。
大いに笑わせていただきました。
うめなかはこのあと壇上ではなく、
お客さんと同じ床の上で、
20分という短い出番ながら、
パプリカ
茶摘み
さんぽ
みかんの花咲く丘
ふるさと
を会場の皆さんとうたわせていただきました。
小学生がうたってくれたのがうれしかったですね。
こちらがちょうだいした記念品。
お金がかかってます。
30周年ということもあるでしょうが、
同じ社協でも豊かな地区という印象でした。
鳴海さんの上用饅頭、なかせさんは演奏前に食べはりました。
「上用」を調べるとこんな記事がありました。
薯蕷(じょうよ)は「上用(じょうよ)」
という当て字を使って読むことがあり、
最近では、こちらの方が一般的なのではないでしょうか。
よく聞く、和菓子材料である「上用粉」は、
関西方面で使われる細かい上質の米粉を指し、
芋とは関係ないようです。
うるち米を乾燥したものを
「上新粉(じょうしんこ)」と呼び、
しんこや団子、餅に使います。
これをより細かくしたのが「上用粉」です。
薯蕷饅頭を食べるとその老舗のレベルがわかるといわれるほど、
シンプルなのに、基本を問われるお菓子だそうです。
薯蕷(じょうよ)万頭は、総合的な技術とセンスの集約であるため、
職人の技量が表れるのだとか。
うめはらなかせも、シンプルなのに基本を問われる
上用ソングを心がけたいものです。