うめはらなかせが最初に単独ライブをしたのって、
いつでしたか、10数年前?
その頃から欠かさず聴いてくださってるのが、
「うらないし」さんです。
お名前(HandleName)の通り現役の占い師さんで、
四条烏丸の大丸百貨店の北隣のあられやさんのビルで、
占庭(うらにわ)
というお店をされています。
初めてこの店名を知ったとき、
とてもいいネーミングだと思ったんですね。
裏庭みたいに目立たず、ささやかな占いの場という、
控え目で仰々しくない、清楚な印象がしました。
(お人柄もそんな感じです)
「占」って字を「うら」って読ませるのもオシャレです。
そして、この本のタイトルも、
占(うら)
なんです。
調べてみたら漢字辞典にそういう読みは出てこないので、
これもむりくり読みですかね。
なんで「占(うら)」にしたんだろうと思います。
この小説、書評で知って読んでみたんですけど、
面白かったです。
出版社の紹介文には、
“占い”に照らされた己の可能性を信じ、
逞(たくま)しく生きる女性たちを描く短編集。
とあります。
いくら作家とはいえ、女性の悩みや妬みとか心の内に、
男性がよくここまで気づけるなあと感心しきりでした。
読後、調べてみてわかったんです。
その名を昇(のぼり)と読む女性でした。
な~んや。
小説に出てくる“占い”は、四柱推命とか、
占星術、手相学などをベースにしたものではなくて、
なにかを「視る」能力や、
それに類似した超自然的なものが中心です。
主人公の多くは平凡な女性で、
たとえばこんなふうに形容される人です。
顔立ちも地味だが、なんというか、
ここにいるのにどこにもいないような風情だ
著者もそんな女性なんでしょうか。
作中の時代ははっきりと書かれていませんが、
どの短編も日常生活から少しはみ出た不思議が起こり、
なかには怖い事件もあります。
人は自分をしか生きられない孤独な存在です。
なにを思い、なにを感じているかわかるのは自分のことだけ。
だからこそ人は自分以外の他者が自分と同じなのか違うのか、
違うとするならどれほど違うのか、
他者の目に自分はどう映っているのか、
それをどうしても知りたいと願う業のようなものに囚われています。
その業が人に“占い”を求めさせます。
ただ自分を知るというのも難しいもので、
自分はこうだと思っているその自分は、
親のしつけ、教育、育った環境でつくられた「自分観」で、
本当のところ自分はどんな人間なのか、
なにを望んで、なににストレスを感じているか、
本人自身がわかっていない場合も多いといえます。
そんな不確かな自分に翻弄される主人公たちは、
“占い”という別の視点を借りることで、
自分と向き合い、自分を認められるようになり、
やがては主体的に生きる自分を見出していきます。
その過程は、リアル占い師、うらないしさんの
“占い”と変わらないのではないかと想像します。
一周まわって、自分は自分でよいのだ、
自分を生きるしかないのだと気づかせてくれる小説でした。