うめはらなかせの日記みたいな掲示板2

アコースティックギターの前にすべての曲は平等である

天神様に音楽の才はなし

天神様というのは菅原道真のことですね。

菅原一族の発祥から道真の生涯をまとめたこの本、

ぼくにはちょっと難しかったです。

人名、地名、職名が読めなくて。

菅原道真といえば、学問の才があって、

とんとん拍子に出世したけど、周囲に妬まれて引きずり降ろされ、

大宰府に左遷されて、失意のうちに亡くなり、

やがて都で高位の貴族が次々亡くなったり、火事・災害が起こったりで、

道真の怨霊のせいだと畏れられて、最後は神様として祀り上げられた

という「あらすじ」はだれもが知るところで、

その生涯をもう少し詳しく解き明かしたのがこの本です。

 

意外だったことがいくつかありました。

まずは出自に関することです。

菅原家は以前、土師(はじ)氏といいました。

さらに土師氏の祖は野見宿禰(すくね)といって、

日本書紀には相撲を取った人として記載されていたり、

埴輪を提案した人ということになっています。

天皇家の人が埋葬されるときに殉死者があったのを廃して、

その代わりとして人形を埋めるということですね。

こういうご先祖がいたので奈良時代

土師氏は葬祭の儀礼を主に担当するお役人だったそうです。

しかし、8世紀初めの持統天皇から火葬が始まり、

仏教も入ってきて、

古来から続いてきた葬送儀礼が下火になっていきます。

そこで葬礼から学芸分野で身を立てていこうと、

菅原へ改姓を願い出たということです。

姓を変えるっていうのはいまでいうブランド戦略なんでしょうか。

 

もうひとつは学業一筋の文章生(もんじょうしょう)

の時代に結婚していること。

大学院生で結婚するようなもんですかね。

道真には子どもがたくさんいたので、

何人かの妻妾がいたと考えられているそうです。

道真は生真面目な学者・官吏というイメージがあるので、

ちょっと意外でした。

当時、めかけをもつのは当たり前のことだったのでしょう。

お家の後継ぎが必要ですもんね。

 

さて、学業の面では最優秀の道真でしたが、

音楽の才能はなかったという話。

学問にも役立つと考えて、道真は七絃琴を習いはじめたそうです。

一向専念に琴を弾く努力をするけれども、

譜面と首ったけで、上達せず、

いちいち先生に尋ねる始末で、

「三峡流泉曲」や「烏夜啼」(うやてい)も音外れで、

道真の音楽を聴いた人々は、

音楽を聞き分ける目利きはお前にはなく、

無駄な時問を浪費するだけだといったという。

すべてに万能じゃなかったっていうのは、

ほっとするエピソードです。

 

最後に、道真と直接の関係はないんですが、

有名な「更科日記」「蜻蛉日記」「枕草子源氏物語」などの作者、

菅原孝標(たかすえ)の女(むすめ)、藤原道綱(みちつな)の母、

清少納言紫式部は複雑な縁故関係にあったということです。

当時の文人は遠いか近いかは別として、

親戚同士だったのですね。

これも知らんかったです。